安産祈願の若宮大路、貴種が頼り2022/03/13 07:20

 『英雄たちの選択』「源頼朝、武家の都「鎌倉」をひらく」。 司会の磯田道史さんに加えて、坂井孝一創価大学教授、井上章一国際日本文化研究センター所長。 若宮大路は政子の安産祈願のために、鶴岡八幡宮から真っすぐ海に向かって造られた。 発掘調査で、総幅は36・6メートル、道幅は十丈(30メートル)あったそうだ。 若宮大路を挟んで、大蔵御所側は高く、反対側は低い、高低差があるのは、防御に都合がよい。 頼朝は、御所側(現、雪ノ下)に父の菩提を弔う勝長寿院を建てた。

 井上章一さん…頼朝は血筋がよいので、東国の武士たちが、御神輿としてかついだ。 磯田道史さん…血統、血縁のカリスマ。 坂井孝一さん…京都育ち、京都に戻りたいとの相克がある。 井上さん…京都の女の人はチャーミング、朝廷から下げ渡されることがあった。 坂井さん…鎌倉は軍事的に有利な場所、国府や国衙は防御に向かない場所にあった。 磯田さん…系図が大事、次は若宮に譲りたいのが、若宮大路に現れている。 坂井さん…頼家に自分の権力を譲っていく、貴種だけが頼り。 井上さん…貴種+建築+都市。

 文治5(1189)年7月19日、奥州藤原氏打倒へ、奥州合戦。 8月22日、平泉制圧、頼朝は、中尊寺、毛越寺、平泉の都市を見て、「浄土のごとし」と感銘を受けた。 9月、藤原氏滅亡。 永福寺(ようふくじ)を建立したのは、怨霊を恐れたのと、北東の鬼門を封じるため。 地上の極楽浄土を構想した。