津田梅子の父、仙<等々力短信 第1153号 2022(令和4).3.25.>2022/03/14 07:00

 広瀬すずが、津田梅子を演じたテレビ朝日のドラマ『津田梅子―お札になった留学生』(橋部敦子脚本・3月5日放送)を見た。 明治33(1900)年秋、36歳、女子英学塾(現、津田塾大学)開校の挨拶、「私は6歳の時、アメリカに渡り、11年間教育を受けて帰国しました。その時、留学で得た知識、経験を生かし、必ず恩返しをすると誓いました。あれから18年、ようやく未来の女性たちへの恩返しが出来る日が来ました。性別や立場が何であっても、幾つであっても、意志さえあれば、いつでも学べるのです。自分の頭で考え、自分自身で選択する力を付け、行動しましょう。当り前とか、常識に囚われないで下さい。自分の人生は、自分自身でしか決められないのです」。

明治4(1871)年の北海道開拓使の女子留学生募集には、なかなか応募する者がなく、維新の負け組、会津の家老山川家の捨松が、一旗揚げるべく留学、後に大山巌と結婚して、鹿鳴館などで活躍する話は聞いていた。 だが、6歳の津田梅子を10年間のアメリカ留学に送り出した父親のことは知らなかった。 ドラマでは(伊藤英明)、東京近郊に住み、農業などをやっていた。 梅子の父、仙も、冷や飯組の幕臣だった。 天保8(1837)年佐倉藩士の家に生まれ、藩校成徳書院で学び、藩主堀田正睦の洋学好きもあり、藩命でオランダ語、英語を学び、江戸の蘭学塾で洋学、砲術、森山栄之助に英語を学び、文久元(1861)年外国奉行の通訳に採用された。 慶応3(1867)年、小野友五郎の軍艦引取り交渉の遣米使節で、福沢諭吉、尺振八と三人が通訳として随行した。 津田仙はクリスチャン、明六社社員、初めて西洋野菜を育て、通信販売も初。

 『福澤諭吉書簡集』の索引で「津田仙」を探す。 第3巻、書簡番号606、明治14年9月19日の黒川剛宛に、その名が。 黒川剛は、仙台藩の江戸留守居役だった大童信太夫の別名、当時は宮城県牡鹿郡長、農業界の先覚者で学農社社長津田仙が、北海道出張の帰途、仙台や牡鹿郡石巻を訪れ、勧業場や種苗場などを見学した。 黒川が津田仙に託して福沢に贈った「もみ鯛」の礼状「未曽有の珍物、潔白雪の如し」とある。

 大童信太夫と福沢は、早くから緊密な関係にあり、横浜で発行された英字新聞の翻訳を仙台藩に買ってもらったり、上の二度目のアメリカ行きでは、ライフル銃の買い付けを頼まれたが果たせず、書籍を1150両分買って来た。 中津奥平家の嫡養子は宇和島藩伊達宗城の四男儀三郎だったので、仙台藩主の嫡養子に宗城の次男宗敦を推薦、福沢と大童は新藩主誕生に関わった。 戊辰戦争時、江戸にいた大童は佐幕派を助け、後に藩の内紛で責任を追及され黒川剛と改名し潜伏、福沢は、その赦免にも尽力した。

 ドラマで広瀬すずを風呂に入れ、鎖骨を見せたのは、テーマに反した。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック