ゾウガメはみな、大粒の真珠を持っている2022/05/01 07:51

 フロリアン大統領との面会が、グアヤキル中心街の大統領宮殿で実現した。 先方は人払いして側近のロドリゲスだけ、最重要の秘密会談という扱いだった。 重要参考人、ガラパゴスゾウガメのジョージの話をドリトル先生が本当に聞けるのか、大統領が実験することになる。 トランプのカードをジョージだけに見せ、ドリトル先生に伝えさせる。 二度成功、三度目に大統領が2枚のカードを重ねて1枚にみせかけるチープ・トリックをしたのも、見破る。 大統領はドリトル先生の言い分を聞くことになった。

 まず、ガラパゴス諸島をエクアドル固有の領土として領有宣言を出していただきたい。 すると大統領は、ガラパゴスを領有することで、エクアドルの得る利益を聞く。 ジョージは、ガラパゴスが守られるなら、ガラパゴス諸島の秘密を開示してもいいと言う。 でも秘密を開示したあとで、大統領のお考えが変わると困るので、ドリトル先生はクイド・プロ・クオ(quid pro quo)として、まず、ガラパゴス諸島領有宣言の大統領命令を、いまこの場で正式な用紙の上に、2通、起草することを求める。 大統領の署名を書いて、印鑑はまだ捺さない状態にして。 秘密をお話して、納得いただければ、印鑑を捺してもらい、お互いに1通を持って、そのあと証拠の品をお見せする、と。

 大統領はガラパゴス諸島領有の国際宣言を2通作った。 ドリトル先生は、エクアドル国の宝物、国民統合のしるしアタワルパの〝涙〟、インカ皇帝はあの大粒の真珠をどこでどのように手に入れたかを、大統領に聞く。 永遠の謎だ、南米の海岸には真珠貝がいる場所があるが、あんな見事な真珠が出たためしがない。 アタワルパの〝涙〟は、ガラパゴス諸島で産出されたと、ジョージが申している、とドリトル先生。

 ゾウガメたちは百万年も前から、ガラパゴス諸島に棲み着いている。 ゾウガメたちは、カルデラ湖の湖底に落ちている、小さな涙形の真珠の核となる原石を見つける特殊な能力を持っている。 そんな原石を見つけると、自分の『まもり石』としてのみ込み、複数の胃袋の中の一つに大切にしまう。 ゾウガメは長生きで、100年も、200年も、場合によっては300年も生きる。 その間、ゾウガメの胃袋の中の『まもり石』のまわりには美しい真珠の皮膜が少しずつ、少しずつ、重ねられていく。 年老いたゾウガメは、自らの死期が近づくと、自分の『まもり石』を若いカメに託す。 こうして『まもり石』は何千年、何万年も、カメからカメに受け継がれていく。

 するってえと、ガラパゴスにはゾウガメの数だけアタワルパの〝涙〟級の真珠が眠っているのか、と大統領。 何頭いるんだ? ざっと数万頭。 ロドリゲスが言う、しかしだな、これまで海賊どもが何頭ものガラパゴスゾウガメをつかまえて、船の上で解体して食っちまったよな、ゾウガメの胃袋から大粒の真珠が出てきたなんて話は、一度も聞いたことがないぞ。 そこなんで、ロドリゲスさん、真珠は酸に弱い、ゾウガメは危機に陥ったり、ストレスを受けたりしたら、すぐ自分の『まもり石』を、もう一つの胃袋に移して、たちまち胃酸で溶かしてしまう。

 では、たった今、証拠を見せてもらいたい。 そのゾウガメも『まもり石』を持っているはずだ、取り出してみてください、クイド・プロ・クオだ。 ドリトル先生は、大統領に宝石鑑定士、科学者、宝物室担当大臣を呼ばせる。

 ジョージの口からドリトル先生の手の上に、ぽろりと大粒の涙形の真珠が転がり出た。 真珠はまばゆく七色の光を反射して妖しく輝いていた。 宝石鑑定士は正真正銘ホンモノの真珠、科学者は顕微鏡で覗き、表面の微細構造もまさに一級品、担当大臣は、重さと体積を測定してアタワルパの〝涙〟とうり二つ、と報告する。 ロドリゲスが、宝物室にあるアタワルパの〝涙〟が無事か尋ねると、大臣は今朝も見回りして確認したと言う。

 ドリトル先生は、アタワルパの〝涙〟の呪いの解ける年を、大統領とロドリゲスに尋ねる。 299年後、1533+299=1832年、今年じゃないか。 呪いが解けるとはこのことで…。 フロリアン大統領は、クイド・プロ・クオで、文書に大統領印を捺した。

フロリアン大統領、ガラパゴス諸島領有宣言に調印2022/05/02 07:01

 この時どうしてゾウガメのジョージがお腹の中に、アタワルパの〝涙〟を持っていたのか。 ご想像のとおり、ネズミのルビイとオパアルが、宝物室から持ち出したものだった。 コオイムシのメスがオスの背中に卵を産み付ける分泌液を接着剤として使い、宝物室の天井からそろそろとおろした絹糸の先に真珠をくっつけて、引き上げていた。 しかし、あと少しのところで、小箱に入れてあったコオイムシが逃げ出そうとしたために、ルビイが糸を強く引きすぎて、真珠が糸から離れ落下し始める。 万一に備えて、部屋の天井の隅に逆さまにとまっていたコウモリが、ひらりと飛んで、放物線を描いて空中を舞っていく真珠の軌跡を正確に読み取り、真珠をキャッチ、ふわりとルビイとオパアルの横の梁の上に着地した。

 ルビイには、もうひとつ、大きなミッションがあった。 ホンモノをお借りする代わりに、模造品のアタワルパの〝涙〟を、何食わぬ顔で台座の上に戻しておく、という作業だ。 ドリトル先生は、あらかじめ模造品のアタワルパの〝涙〟にコオイムシの分泌液で糸をつけておいた。 そして、糸を回収するために、コオイムシの酵素を使った。 コオイムシの卵が孵るとオスの背中がきれいになるのは、卵の殻の底に含まれている酵素が、接着剤のたんぱく質を分解するからだ。 ドリトル先生は、模造品に取りつけた絹糸に薄くゴムを引いておいた。 ルビイは酵素液を入れた小瓶から、スポイトで糸の上にしずくをつくり、糸をやさしくトントンたたくと、しずくはツ、ツ、ツ、ツと、下に向かって移動して、模造品の表面に達したのだった。

 さて、フロリアン大統領は、署名の横に大統領印をしっかり捺して宣言文書を完成させると、両手でドリトル先生の手をしっかり握り、感謝の言葉を述べた。 ドリトル先生は、こちらこそ、大統領の大英断で、ガラパゴスの貴重な自然が守られることになった、と喜んだ。 ところで、大統領、真珠は、このゾウガメ、ジョージのものですから、いったんこちらにお戻しを、と言うやいなや、机の上の真珠に手を伸ばして、それをつかむと、ジョージの顔の前に差し出した。 するとジョージは真珠をパクリとくわえて、ひとのみにしてしまった。

 呆然とする大統領とロドリゲス。 ドリトル先生は、言う。 大丈夫、わたしが頼めば、ジョージはいつでもお腹の中から真珠を取り出してくれる。 それにガラパゴスに行けば、こんな真珠はそれこそ星の数ほど、正確に言えばゾウガメの数だけある。 しかし、ここがもっとも大切なところだが、もしジョージの身に万一のことがあれば、あるいはガラパゴス諸島の未来が脅かされるようなことが少しでもあれば、真珠は溶かされて永遠に失われてしまう。 そのことをどうぞお忘れなく。 クイド・プロ・クオだ。 宣言文1通は証拠品としていただいておく。 宣言は、翌1832年2月12日になされた。

 スタビンズくんは、ネズミのルビイとオパアル、コウモリのチームを再招集して、この前と全く同じことを逆の手順でやって、アタワルパの〝涙〟を宝物室に戻すことにした。

ドリトル先生、ガラパゴス諸島で3年間調査研究2022/05/03 07:05

 エクアドル国がガラパゴス諸島の領有を宣言した以上、そこには生活実態が必要だということになって、ロドリゲスが団長になり、移民希望者数十人を募って、政府が大型船を用意した。 ドリトル先生一行と故郷が懐かしいジョージも同行することになった。 晴れて当初の目的のガラパゴス諸島に行けるのだ。 栄誉ある領有宣言記念式典にも来賓として出席する。 出発の前夜、ネズミのルビイがドリトル先生の宿屋を訪ねてきて、移民団の一員として両親と一緒に行くことはできないか、と頼む。 最初の入植団は家畜を持っていかざるを得ないが、人間の居住区域内だけで飼育することを約束してもらった。 大陸の大型の哺乳動物は生息していないガラパゴスで、今まで生息していた動物や植物が絶滅したり、消滅したりしかねないからだ。 ルビイが恋仲になったオパアルも一緒にというのを聞き、それはめでたい、野生のネズミも少しだけはいるらしいが、ガラパゴスの固有種たちに影響を与えないよう、限られた区域で生活すると約束してくれるなら、今回の勇敢な働きゆえに許可しないわけにはいかない。

 このあと、実は、ルビイがスタビンズくんに重大な告白をしていた。 あれからオパアルとのことに毎日が夢見心地になっていて、アタワルパの〝涙〟は、糸を外しただけでドリトル先生に渡したのだ、と。 スタビンズくんは、気絶しそうになった。

 チャールズ島の海辺近くの小高い丘に、ロドリゲスと政府の人々は、エクアドルの国旗を高々と掲揚し、記念式典を挙行した。 イギリス風の名のついたこのチャールズ島は、フロリアン大統領にちなんで、フロレアナ島と呼ぶことになった。 移民団の拠点のフロレアナ島の北には、インディファティガブル島、西には大きなタツノオトシゴのかたちをしたアルベマール島、タツノオトシゴに抱かれるような丸い形のナルボロー島がある。 どの島にもそれぞれの島の環境にうまく適応したゾウガメ、リクイグアナとウミイグアナ、岩の上をチョロチョロするヨウガントカゲ、海辺にはアシカたち、それからフィンチ鳥やグンカンドリ、カモメなどが楽しく暮らしていた。 ドリトル先生とスタビンズくんは、移民船がつないできた小型の船を借りて、ガラパゴス諸島のいろいろな島を巡り、自然の観察調査を実施した。

 イギリスのビーグル号がガラパゴスに到着したのは、エクアドル国がガラパゴス諸島の領有を宣言してから、3年の月日が経ってのちだった。 すでにフロレアナ島の開拓村はかなりの規模になっていて、ドリトル先生とスタビンズくんも開拓村の一隅に小屋を建ててもらい、研究拠点とし、島の人たちのよろず相談と健康診断も担当していた。

ドリトル先生とチャールズ・ダーウィンの対話2022/05/04 07:12

 福岡伸一さんは、ビーグル号の客員乗組員で地質・生物調査担当のチャールズ・ダーウィン(26歳)とドリトル先生を会わせ、すぐに意気投合させる。 ドリトル先生は、ガラパゴスの生き物たちの奇妙さや不思議さにようやく気づきはじめた、こんな小さな島でもすべての生き物のすべての生態を知ることは不可能だろう、と言う。 もうひとつの謎は、生物の多様性で、何百万種もの動物、植物、顕微鏡的ミクロ世界の微生物の数々、これらをすべて神さまが天地創造の最初の7日間でおつくりになったのだろうか。 何百万種もの生物の約半数は昆虫種だから、神さまの7日間の大半は、虫づくりに夢中になられていたはずで、無類の虫好きということになる。 わたしたち昆虫少年だった者にはうれしいことだけれど、最後の安息日にはさすがの神さまも疲労困憊されただろう。

 ダーウィンは言う。 それはとても面白い視点だ、私もこの世界の多様性の起源を見極めたいと願っている。 できることなら神さまを持ち出さずに、この世界のすばらしさ、精妙さ、その美しさを説明したいと…。 教会にはおこられてしまうが、これだけの多様性は、この地球全体の環境の多様性と関係していると思っている。 ノアの方舟(はこぶね)にはロンドン動物園にいる生き物のうち10分の1も入り切らない。 やはり別の説明が必要だと思っている。

 ドリトル先生は言う。 生物は互いに争っているように見えて、実はずいぶん助け合っている。 利己的であるというよりは利他的である。 その最たるものは植物で、過剰なまでに葉を茂らせ、実をつくり、それを惜しげもなく他の生物に分け与えてくれるから生命現象の基盤が成り立っている。 動物でも、吸血コウモリなどは、110の吸った血(収益)があると、余裕分の10を、誰か、困っている仲間に与える。 それは巡り巡って、また別の日、自分が困っているときに助けてもらうことにもつながる。 つまり利他性は、自己犠牲というより、冗長性や過剰さの上にあるものだ。 その余裕をぐるぐるまわすことによって共存しているわけで…。 そして生命は本来的にいつも誰かが過剰を作り出している。 あるいは常に誰かがサボっていると言ってもいいかもしれない。 それが生命の余裕だ。

 ダーウィンは言う。 いま世の中では、我々の国の経済学者のアダム・スミスが言い出した、弱肉強食の論理がさかんに言われている。 強いものは勝ち、弱い者は滅びる、よいものはたくさんの人々に支持され、わるいものは見向きもされなくなって駆逐される。 この原理がすみずみまで働けば、神さまの手を借りなくても、社会は結局よい方向に進化していくという論理だ。 でも、生物の世界にこの考え方を当てはめてよいのかどうか、私は今ちょっと迷っている。 たとえば、食う・食われるという関係がある、オキアミのような小エビと大きな魚やクジラ。 オキアミが弱者で、クジラが強者か。 アフリカの草原の、カモシカが敗者で、ライオンは勝者か。

 ドリトル先生は、我が意を得たりと、違う、全く違う、オキアミがいなければクジラは生存できない、カモシカがいなければライオンは生存できない。 そして、もし生命の規模で勝ち負けを言うなら、圧倒的多数はオキアミだから、オキアミのほうがより繁栄していると言える。 草原でも、数の多いのはカモシカだ。 つまり、食う・食われるというのは、弱肉強食の優劣ではなくて、同じ環境の中で共存するための棲み分けの知恵だと言える。

 ガラパゴスにおけるダーウィンとドリトル先生の、短いけれど濃密な交流はこのとき限りで終わった。 ダーウィンはイギリスに戻ってから20年以上、生物学の研究を続け、その成果をまとめて『種の起源』を出版した。 神さまの手を借りずに、この地球上の生物の多様性について説明を試みた本だった。

ゾウガメ先祖代々受け継がれてきたにおいの記憶2022/05/05 08:03

 ダーウィンとビーグル号を見送ったあとしばらくして、ドリトル先生は帰国を考え始めた。 ガラパゴスの領有権はエクアドルに帰属して一応安心だし、島の生き物たちもこの先なんとか保全されていくだろう、調査も一通り終えたので、研究の成果もまとめ上げなくてはならない。

 そんなとき、ゾウガメのジョージが仲間から便りがあったと言う。 ナルボロー島で新しい火山活動があり、溶岩が噴き出したあと一時休止し、がらんどうの穴が相当奥深くつながっている。 その風のにおいをかいだ仲間が、そのにおいは100万年ほど前に起きた噴火のときと同じだといっている。 実際の経験でなく、ゾウガメには世代を超えて受け継がれる歴史の記憶があるのだ、と。 生まれてすぐに食べ物のありかがわかり、危険から身を守り、そしてまた先祖代々受け継がれてきたにおいの記憶、それは遺伝子の外側にあるものだ。

 ドリトル先生は感心して言う。 その遺伝子の外側にあるものが、生物をより環境に適応するように行動させ、また環境に対しても主体的に働きかける動機になるわけだ。 ガラパゴスを守るため、ゾウガメの体内にある真珠の『まもり石』の話をでっちあげたのだけれど、それを聞くと、『まもり石』もあながちイマジネーションの産物とも言えない。 遺伝子を真珠の核とすれば、その核を包み込む真珠の層は、遺伝子の外側にあるもの、ということができる。 そして、それは真珠が世代を超えて育まれていくように、さまざまな環境の記憶を宿しながら、生物から生物へ引き継がれていく。 『まもり石』はほんとうにゾウガメの生命の体内にあるんだ。 『まもり石』は、生命を高め、生命を支える主体性の原動力かもしれない。 そう考えれば『まもり石』こそが生命進化の源泉と言えるものなのだ。

 火山活動でできた穴から吹き上げてくる風のにおいとは、希ガスに違いない。 地球の内部にはかなり重い物質が詰まっている。 マグマは、ドロドロに溶けた熱い鉄の塊だ。 全部が全部同じ塊ではなくて、ところどころに裂け目や空洞や穴があったりする可能性は大いにある。 奥底の空洞のひとつには希ガスがたまっていて、その一方の穴は、ここガラパゴス諸島に、もう一方の穴はイギリスの鍾乳洞につながっているということは十分に考えられる。

 この穴から物質を落とすと、地球の引力に引き寄せられて、まず真っ逆さまにに穴の底に向かって落ちていく。 でも物質がちょうど穴の真ん中の希ガスだまりに達すると、今度は、向こう側の穴に向かって逆に上っていくことになる。 それは引力に逆らうことになるから、ものすごい速度で落ちていた物質は、だんだん速度を緩めることになる。 そして向う側の出口に達したとき、ちょうど速度はゼロになる。

 ゾウガメが言う。 なぜ、そんな穴のにおいの記憶が世代を超えて引き継がれているのか、考えていた。 ひょっとすると何百万年も前、ガラパゴスの溶岩トンネルは、アジアかアフリカのどこかの火山や洞窟とつながっていて、祖先のカメが、えいやっと飛び込んだのではないか。 前後の見さかいもなく、ただ自分の運を試してみたのでは…。