山本みなみさん「政子こそ鎌倉幕府の礎」2022/05/26 08:05

 最近『史伝 北条政子』(NHK出版)という本を出したという山本みなみさん(中世史研究者)は、朝日新聞のコラム「鎌倉からの史(ふみ)」で、政子こそ鎌倉幕府の礎という。 嫉妬深く、冷酷な悪女とされているが、同時代の史料を検討すると、主体的で思慮深く、有能な政治家政子が浮かび上がるのだそうだ。

 源氏将軍の断絶と承久の乱という幕府存続の危機を乗り越えた人物こそ政子だとする。 三代将軍実朝の暗殺後、皇子の下向交渉は難航したが、九条家から幼い男子を迎え、政子が実質的な鎌倉殿となることで、幕府の基礎が揺らぐことはなかった。 承久の乱の際も、頼朝の恩を説いて勝利に導いた。

 政子の遺志を継いだのは北条義時の子の泰時である。 昨日書いた「伊賀氏の変」(1224(貞応3)年)、政子は北条政村の執権就任を画策する伊賀氏の動きを封じ、泰時の就任を見届けて亡くなった。 最初の武家法「御成敗式目」を制定するなど、泰時が大政治家だったことは確かだが、泰時政権への道を開く上でも重要な役割を果たした。

 山本みなみさんは、政子の死後、式目制定や幕府の最高政務機関である評定衆の設置などが進んだのも、偶然ではなく、政子が偉大な存在であっただけに余人をもって代え難く、法で整備する方向へ進んだのである、とする。 類まれな政治力を発揮した政子は、幕府体制にまでも影響を及ぼしたというのだ。

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