小野梓(大日方純夫さんの『日本歴史大事典』)2022/06/04 07:00

 小野梓についても、よく知らなかったので、見ておきたいと思ったら、『日本歴史大事典』の「小野梓」が、ちょうど大日方純夫さんの執筆だった。

 おのあずさ【小野梓】(1852(嘉永5)-1886(明治19)) 明治前期の法学者、政治家。土佐国幡多郡(はたぐん)宿毛村(現、高知県宿毛市)に生れる。号は東洋。1869(明治2)年東京に出て昌平学校に学び、1870年中国上海で欧米列強の進出のさまを実見した。1871年私費でアメリカに留学、ついで1873年大蔵省の官費でイギリスに留学して銀行・理財会計を学びつつ、法律学を学んだ。1874(明治7)年帰国後同志とともに文化啓蒙団体、共存同衆を結成して幹事となり、『共存雑誌』を発行、講談会、演説会の開催につとめた。また、ローマ法を研究して『羅馬律要(ローマりつよう)』を纂訳し、これが認められて1876(明治9)年司法少丞となった。以後司法省、太政官の書記官を歴任し、1880(明治13)年には新設の会計検査院の検査官となり大隈重信との関係を深めた。

 1881年10月「明治十四年の政変」で大隈とともに下野し、以後、大隈の下で活躍。立憲改進党の結成を推進して幹事役を務め、党務に奔走するとともに、東京専門学校(現、早稲田大学)の創立に尽力した。また、東洋館書店(冨山房の前身)を開業して出版事業にも手を染めた。この間、大著『国憲汎論』をはじめ、政治、法律、経済、教育などの各分野で旺盛な著作活動を展開したが、病没した(享年33歳)。<大日方純夫>

 大日方純夫さんは、講演「「明治十四年の政変」をめぐる大隈重信と福澤諭吉」の「「政変」後の政治過程」、「立憲改進党の結成をめぐる大隈と福沢」で、『小野梓全集』五の小野梓「留客斎日記」の詳細な記述を引用したのだった。 それは、また明日。