大国スペインから迎えたお姫様キャサリン2022/06/12 07:20

 ヘンリー八世の最初の妻キャサリンは、父がアラゴン王国の国王なので、キャサリン・オブ・アラゴン。 母はカスティーリア王国の女王で、このイベリア半島の二大強国の王と女王の結婚により、スペインは上げ潮に乗る。 長年続けられてきたレコンキスタと呼ばれる運動の末に、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐することに成功する。 当時のスペインは、英国よりはるかに大国だったのだ。 そんなお姫様を英国王室は三顧の礼を尽くして迎えた。

 実は、初めキャサリンを三顧の礼を尽くして迎えたのは、ヘンリーの兄、アーサー王子で、キャサリンは皇太子妃となる。 しかしその結婚は5か月後、アーサー王子の死とともに消滅してしまう。 アーサー王子は15歳半、虚弱体質で流行りの疫病にかかり、14歳のキャサリンを未亡人として残し、急逝したのだ。 困ったのは父のヘンリー七世だ。 莫大な持参金付きで迎えたキャサリンをスペインに返すわけにはいかない。 そこで苦肉の策として、弟のヘンリーに嫁がせることにしたのだ。

 ヘンリー王は近習の者に初夜の話を憚らず公言した。 「妻は処女であった」と。 結婚にはバチカンの承認が必要だった。 カトリックの信仰では妻は処女であらねばならない。 二人は20年以上にわたり仲睦まじく暮らした。 しかしキャサリンは死産、流産を、繰り返し、やっと生まれた王子も50日ほどで死んでしまう。 その中でただ一人、1516年に生れたメアリーだけが成長した。 後に恐るべきカトリック反動の女王となる、カクテルの名に残るブラディー・メアリーだ。 「妻は処女」発言は、次の結婚に至る紛争の火種になるのだが、それはまた明日。

 杉本博司さんの「キャサリン・オブ・アラゴン」の解説、あまりにも面白いので、みんな紹介してしまうことになった。

 ブラディー・メアリーは、ウオツカとトマトジュース、またはこれにレモンジュースを混ぜたカクテル。 カトリック教徒で、スペイン王フェリペ二世と結婚、旧教の復活を進め、多くの新教徒を処刑した16世紀の英国女王メアリー一世(メアリー=チューダー、在位1553~1558年)にちなむ。