英国国教会誕生の秘密2022/06/13 06:49

 杉本博司さんの「portraits/ポートレート」5月号は、「アン・ブーリン」。恋多き王、ヘンリー八世がなんとキャサリン王妃付の女官、アン・ブーリンに心惹かれてしまった。 黒い瞳の美少女、フランス語を巧みに操り、溌溂とした振る舞いに、魅了されたのだ。 浮気王が幾多の女官に手を出したのを見ていたアンは、作戦を立て、靡くように見せて一線を越えない焦らし戦法に出た。 王がアンに書いた手紙が現存している。 「私には一年以上も恋の矢が突き刺さったままだ……苦しみが募る」

 アンは、こうして正式な王妃としての結婚を王に迫った。 カトリックでは離婚は認められない。 追い詰められた王はキャサリン妃との結婚は無効だと教皇に申し出た。 自分と結婚した時、既にキャサリンは処女ではなかったと前言を翻したのだ。 初婚が無効なら、アンとの結婚が初婚になる。 無論、ローマ教皇はそんな虫のいい話を許可しなかった。 そこでヘンリー王は非常手段に出る。 ローマ教会を離脱して、自らを長とする英国国教会を樹立し、法皇領である修道院を没収してしまうという、経済的にも一石二鳥の手を打ったのだ。 恋心が国家の姿までも変えてしまった。

 晴れてアンと結婚してみると、望んでいた男の子は生まれず、またしても女の子だった。 後に英国を大国へと導くことになるエリザベス一世だ。 男子を産まないアンから王の心は急速に離れていった。 そしてなんと今度はアン王妃付の女官、ジェーン・シーモアに懸想してしまったのだ。 王は、私はアンに魔法をかけられて誘惑されたと言い出した。 そのほか姦通罪まで捏造されてロンドン塔に幽閉され、アン・ブーリンは公開処刑という悲惨な最期を遂げることになる。 愛は憎しみに容易に変わるものなのだ、と杉本博司さんはまとめている。 まったくすき間のない文章なので、ほとんど全部丸写しすることになった。 すみません。

 英国国教会の最大の特徴は、立憲君主制であるイギリスの統治者である国王が、教会の首長であるということだ。 現在は、エリザベス二世が1952(昭和27)年6月2日から、その地位にある。

 ヘンリー八世が1527年にキャサリン妃との結婚は無効だと申し出た教皇は、クレメンス七世。 神聖ローマ皇帝カール五世が、キャサリンの甥だったこともあって、複雑な政治問題となった。 1529年まで繰り返し行われた教皇への働きかけが失敗に終ると、ヘンリー八世は態度を変え、さまざまな古代文献を基に、霊的首位権もまた王にあり、教皇の首位権は違法であるという論文をまとめ、教皇に送付した。 1531年にはイングランドの聖職者たちに対し、王による裁判権を保留する代わりに10万ポンドを支払うよう求めた。 これはヘンリー八世が聖職者にとっても首長であり、保護者であるということをはっきり示すことになった。 1531年2月11日、聖職者たちはヘンリー八世がイングランド教会の首長であると認める決議を行なった。 ヘンリー八世の言いなりだったトマス・クランマーがカンタベリー大司教の座に就くと、王の婚姻無効を認め、王はアン・ブーリンと再婚した。 教皇クレメンス七世がヘンリー八世を破門したことで両者の分裂は決定的となった。 ヘンリー八世は1534年に国王至上法(首長令)を公布してイングランドの教会のトップに君臨した。 やがてトマス・クロムウェルのもとで委員会が結成され、修道院解散を断行、修道院が保持していた財産が国家へ移されていった。

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