坂井達朗さんの「福澤書簡を原文で読む」講座2022/06/16 06:55

 13日、三田キャンパスの研究室棟A会議室で、福澤諭吉協会の公開講座、坂井達朗さんの「福澤関係史料を原文で読む―書簡を中心にして―」の最終回があった。 いろいろと教えて頂いたにもかかわらず、結局、私は福沢書簡の崩し字を読めるまでには、到底いたらなかった。 「ヽ」ひとつを、「候」と読むなど、想像を絶する。 あらためて『福澤諭吉書簡集』を編纂した方々に、深い敬意と感謝の気持を抱くこととなった。

 2020年2月の回がコロナで延期になって以来、長い中断があった。 前回までの内容は、以下のようなものだった。 A. 福沢の生涯と、立場が変わると書簡の宛先および内容が変化するのを辿る。 B. 史料としての書簡の面白さと重要性。 ア. 読む人が限定されている。本音が吐露されている。不特定多数の読者を想定せざるをえない著作との違い。「浴衣掛けで家人と談笑する姿」と、「正装して客に逢う姿」。 イ. 電話の発明される以前は、情報伝達の主要手段であった。 C. 取り扱いの難しさ。 ア.特別の書体。 イ. 発信者と受信者との共通体験の存在を前提とする場合が多い。大胆な省略が可能。 ウ. 通信の背景にある事情を知らなければ、十分の理解は不可能。

 坂井達朗さんの最終回は、「福澤書簡を巡るこぼれ話 二題」だった。 『福澤諭吉書簡集』編集の過程で、新史料が発見され、関係者を喜ばせた。 金原宛、12月22日付、震災の被害による、水害発生の懸念については、早速取り上げる積もりであるが、目下連日の来客で寸暇を得ないため遅れている、という内容。 「金原」は、福沢の文通相手で唯一の金原姓、金原明善と考えられた。 金原明善は天保3(1832)年~大正12(1923)年、浜松在の豪農、治山・治水家、林業家、社会事業家。 地震は、明治24年10月28日の濃尾地震かと考えられ、震源地は岐阜県北部の根尾村、福井県との県境の山岳地帯で、浜松の天竜川とは離れていて、その上流の水源(諏訪湖)にまで及ぶはずはないという疑問があった。

 ところが、意外な展開となった。 それは、また明日。

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