ベースボールの誕生、佐山和夫さんの講演2022/06/29 07:02

 6月25日、福澤諭吉記念慶應義塾史展示館春季企画展「慶應野球と近代日本」開催記念の講演会・シンポジウムを聴きに、三田キャンパスの南校舎ホールへ行った。 まず佐山和夫さんの「野球どこから、どうして」と題する講演があった。 佐山和夫さんは、1936(昭和11)年生まれの85歳、和歌山県立田辺高校から、慶應義塾大学文学部英文科を1959(昭和34)年に卒業、創立百年の「100年三田会」というから、亡兄と同期だが、とてもお元気だった(私は「105年三田会」)。 ノンフィクション作家として野球関係の数々の著作があり、2021年野球殿堂(特別表彰部門)入りを果たし、選抜高校野球大会の21世紀枠創設は佐山さんの言葉がヒントになったという。

 野球の源流についての話だった。 支流は沢山あり、諸説ある。 アメリカの各地に、古式野球、ビンテージ野球があった。 絵を見ると、キャッチャーがずっと後ろに座り、南北戦争の軍服がユニフォーム、オハイオ州コロンバスでは、打者は短いラインをまたいで打つ、ファールラインがなく、打てばみなフェア、審判は横に立って見守っていて、「ストライク」は、「打て」というコールだった。 ルールは、それぞれの町に、いろいろとあった。 町民が集会所に集まって、町の行政についてみんなが意見を出す「タウン・ミーティング」が開かれていたが、その日に初めての人でもやれるゲーム、「タウンボール」が行われていた。 柔らかいボールで、たいていセーフになるが、ぶつければアウトなので、ホームに還えるのは難しい。 タウン・ミーティングの精神で、ルールもみんなの意見を出して決め、公平、平等、民主主義の原型の精神が、そのままゲームに移っていた。

 ニューヨーク、マンハッタンの4番と5番の間、マレーヒルのマディソン・スクエア・パーク(8番のガーデンではない)がベースボール発生の地といわれる。 アレクサンダー・カートライトという捕鯨のファミリーの男が、消防団を創設し、臨機応変に、活発に動ける組織にするために、「ニッカーボッカーズ」というチームをつくり、マレーヒルで「タウンボール」をするようになった。 カートライトは、1845年に統一ルールをつくる。  ニューヨークは1845年からのアイルランドのポテト飢饉などで、沢山の移民がやって来て、人口が激増した。 「タウンボール」が、マンハッタンからニュージャージー、ブルックリンへと広まった。 後に、ブルックリンで大発展、上手投げ、盗塁、観客、プロ、スター選手が生まれ、巡業も始まることになる。

 1846年6月19日、マンハッタンの対岸、ニュージャージー州ホーボーケンのエリジアン・フィールドで、カートライト率いるニッカーボッカーズ対ニューヨーク・ナインの初の対外試合がおこなわれた。 真面目なゲームで新聞にも載ったが、ニッカーボッカーズは1対23で負けてしまった。 現在の野球の基本となるルールで初めて試合が行われた日ということで、6月19日は「ベースボール記念日」、「ベースボールの日」と呼ばれている。