万事、60点くらいでよし、非まじめ介護の極意2022/07/10 07:09

 大塚宣夫さんは、30代のころ、「現代の姥捨て山」のような老人病院の実態を知り、衝撃を受け、せめて自分の親だけでも安心して預けられる施設をつくりたいと、1980年に青梅慶友病院を、2005年によみうりランド慶友病院を開設、これまで2万人の高齢者の方の最晩年に関わり、1万人の最期を看てきた。 ずっと追求しているのは「究極の終の棲家」。 人生最期の時間だって、大切な人生の一場面。 医療よりも介護、介護より豊かな生活環境、つまり「安心して穏やかに過ごせる場所」が必要なのではと考えてやってきた。

 この本に、現代は、ふたりにひとりが認知症になる時代だ、とある。 大塚さん自身、80歳を超えた今、思うのは、本当の意味で「安心して穏やかに過ごせる」とは、どういうことなのかということだ、という。

 高齢者にとって、いちばん嫌なのは、自分の生活のリズム、自分のやり方を崩されることだ。 何十年もかけて、自分なりに築いてきた生き方だ。 そう簡単にかえることはできない。 高齢者や介護される側が思っているのは、「だれかの役に立てたらうれしい」という気持ちだ。 その気持ちは、それなりに残っていて、「役に立つ」は元気の源のようだ。 介護は、実際のところ、世間からみて「もう少しやってあげてもいいのでは……」くらいが落としどころ、60点くらいの出来で十分。 まさに「非まじめ介護」だ、という。

 介護における最大の敵は、お互いの甘えと、過度の期待、善意の押し売りだ。 「よかれと思って……」この考えはいったん横に置いておこう。 やり過ぎてはいけないし、完璧をめざしてもいけない。 万事、60点くらいで、よしとしよう。 これが、非まじめ介護の極意だ、そうだ。

 この本には、大塚さんらしい、具体的なすすめもある。 「お金は全部この世で使いきりましょう」 介護される人は、「数千円のポチ袋を渡す(態度)とありがとう(言葉)で示し、介護したくなる仕組みをつくる。」 「家族、親戚、行政、プロ。使えるものはすべて使って、ひとりあたりの負担を減らす」

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