『坊つちゃん』のモデルたちの月給2022/08/20 07:33

 「二つふくれた豚の腹」は英語の西川忠太郎(月給40円)の体格からきている。 ホホホホ……と格好つけて笑い、ときどき赤シャツを着てきたという。 「教頭の赤シャツ」のモデルは、すでに定評ある横地石太郎(月給80円)よりも、この人と半藤さんは考えている。

 なるほど物理・化学を教えていた横地は東大出の学士様であったし、ときどき赤シャツを着てきたらしい。 ただし、当時の「職員録」(明治28年11月10日現在)によれば「学校長事務取扱」となっていて、教頭ではない。 当時中学校に教頭はいなかった。 そして数え歌の四つにあるように、この人は「ゴートひげ」(天神ひげ)をはやしたよき人格者であったらしい。

 「三つ」は漢文の太田原(月給20円)。 半藤さんは、「みにくい」よばわりは生徒にあるまじき行為といわんか、いやそれ以上にセンスのないのが許せない、という。

 問題は「五つとや」の中村宗太郎(月給30円)で、歴史の教師。 女にもてもての好男子で、元四国女子大教授新垣宏一氏の調査によると、「(明治27年9月に転任してくると)教師の集まる宴席で、評判の鈴吉という芸者と早くも意気投合し、ひいき者にしている。また、道後の温泉には遊廓があり、中村はよく登楼して、そこから学校に通勤してくることもある」というとんでもない教師。 しかも、漱石が松山に着任する直前に、同僚の石川という教師が遠山のお嬢さんこと「マドンナ」、すなわち遠田という陸軍大尉のお嬢さん捨子に惚れ込んでいるのを、中村はことごとく馬鹿にした。 自分の男前を鼻にかけ、嫌味たらたらに皮肉り、遠田家とさも親しいようなことを口にして、石田の片想いの純情を酒の肴にして打ち興じた。

 これで石川青年教師はひどく自信を失い、片想いをたち切って松山を去ろうと決心した。 そして石川転任のあとをうめて着任してきたのが、「八つやかしの本吾さん」の安芸本吾(月給35円)、博物の教師であった。 石川も安芸も徳島県の出身、徳島中学の同窓という縁があったのだろう。 安芸が教室で阿波の方言丸出しで「何やかし」「これやかし」とやったので、「八つやかし」と「なもし」どもにやられたのだ。

 以下、「六つ無理いう伊藤さん」は体操の伊藤朔七郎(月給12円)、「九つコットリ一寸坊」は地理の中堀貞五郎(月給30円)、「十でとりこむ寒川さん」は書記の寒川朝陽(月給15円)だが、『坊つちゃん』とは直接関係がない人たちだ。 また、「数え歌」には登場しないが、「山嵐」のモデルとされている数学の渡部政和は月給35円だった。

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