歴史の語り部、藤井裕久さん2022/08/23 07:04

8月8日に発信した「等々力短信」、元財務相 藤井裕久さんの遺言<等々力短信 第1158号 2022(令和4).8.25.>に、高校の同級生Kさんからメールをもらった。「藤井裕久氏の大局的歴史観と温故知新は賛同! 膨大な戦時国債を発行したものの第2次世界大戦は敗戦、1000兆円強の財政赤字で”第3次”世界大戦にも負けようとしている。 我々から藤井さん世代の責任でもある。老人力での日本改造が必要! きらりと光る短刀のような等々力短信に感謝します。」と。

 21日の朝日新聞「日曜に想う」、曽我豪編集委員の「歴史の語り部を亡くした夏」は、藤井裕久さんの思い出を語っていた。 2012(平成24)年11月14日午後、衆院議員会館の部屋で藤井氏に対していた。 師弟の間柄とされた野田佳彦首相が直後の党首討論で安倍晋三自民党総裁に対し衆院解散を宣するとの情報が駆け巡っていた。 藤井さんは、「自分がこの民主党政権にけりをつける。首相はそう考えている」と言った。 野田首相は消費増税を含む社会保障と税の一体改革で野党の自公両党と3党合意をまとめ、衆院議員定数の削減も安倍氏にのませようとしていた。 「その二つの実績があれば、野党に落ちても政権奪還の芽を残せるはずだ。そう判断するのだろう」と藤井氏は首相の心境をうがった。

 だが続けて藤井氏は断じた。 「それなら解散は定数削減を実現し政府予算も成立させた来春でいいはずだ。なぜ解散を急ぎ、政党間合意の機運を損なうか。納得できる説明を聞いていない」

 政権と主役は入れ替わった。 藤井氏は衆院選に出馬せず政界を引退、民主党は大敗した。 返り咲いた安倍首相は、後に2度の消費増税を実現する。 だが党首討論で約束されたかに見えた「政党が身を切る」定数削減はほごにされた。

 藤井氏が残そうとしたのは、民主党政権の失敗体験だけではない。 1945(昭和20)年3月10日に目撃した東京大空襲の惨禍などの体験を語り続けた。 藤井氏が政権獲得前に故仙谷由人元官房長官らと共に民主党近現代史研究会を発足させたのも、戦争と日本政治の失敗の歴史を戦後世代に継ぐためだった。 引退と下野の後も、市民参加型に改まった研究会を座長として主宰し続けた。 そう曽我豪編集委員は、書いている。

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