のすたるぢや、萩原朔太郎<等々力短信 第1159号 2022(令和4).9.25.> ― 2022/09/16 07:09
江國滋さんが亡くなったのは、1997(平成9)年8月10日だから、25年も経ったことになる。 何年か後に、本棚を取り替える機会があり、手持ちの江國滋さんの著書を、世田谷文学館に相談して、納めさせてもらった。 芦花公園駅近くの世田谷文学館はまことに律儀で、その後今日まで、展覧会の案内と招待券を送ってくれている。
10月1日(土)から来年2月5日(日)まで、「月に吠えよ、萩原朔太郎 展」が開催される。 亀山郁夫館長が、巻頭エッセイ「遠き山に日は落ちて」を「世田谷文学館ニュース」80号に書いている。 夕方5時から町に流れる「家路」は、幼い頃から耳になじんだメロディだが、老いはじめた半世紀以上の時の流れのなかで、この音楽のもつ幽玄な何かが確実に朽ち果てていったことを実感する。 朽ち果てていった何かとは、ほかでもない「ノスタルジア」の感覚である、という。 やはり半世紀ぶりに再会した萩原朔太郎の「純情小曲集」の「自序」には、「あるひとの来歴に對するのすたるぢや」を「追憶」するために書いたとあり、「あるひと」とは朔太郎自身だとも言っている。 その「純情小曲集」から、亀山さんが高校2年生の時、フランス文化に漠とした憧れにひたる心を、心地よく慰めてくれた詩というのを、引用している。
ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背廣をきて/きままなる旅にいでてみん。
私は、黄色くなった角川文庫の『現代詩人全集』第二巻近代IIで、萩原朔太郎を読んだ。 「ふらんすへ行きたしと思へども」の「旅上」には、後半があった。
汽車が山道をゆくとき/みづいろの窓によりかかりて/われひとりうれしきことをおもはむ/五月の朝のしののめ/うら若草のもえいづる心まかせに。
詩集「宿命」に、「郵便局」という散文詩があった。 「郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しい〝のすたるぢや〟(傍点)の存在である。」「郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて亂れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我々もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活(ライフ)の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我々の家なき魂は凍えてゐるのだ。」
朔太郎は『月に吠える』の序文に、「人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である」、だが人間同士に共通するものを発見するとき「我々はもはや永久に孤独ではない」とも書いた。 手紙を書きましょう、短信への返信から。
コメント
_ 轟亭(萩原朔太郎) ― 2022/09/28 07:13
_ 轟亭 ― 2022/09/29 08:34
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