源実朝の和歌、「公暁」の読み方2022/10/26 07:03

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、第39回「穏やかな一日」を見て、驚いた。 源実朝の和歌は小学校の時に「国語」の教科書にあって習った。 なぜか、深く印象に残って、三首を記憶していて、時折口ずさんでいた。 その一首に、
「大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも」
があって、「たいかいの」と覚えていたのだ。 『鎌倉殿の13人』では、「おおうみの」と朗詠した。 先生が間違えたのではあるまい、長年私が違っていたのだ。

 もう一つ、「公暁」の読み方。 雪の中、鶴岡八幡宮の石段で、実朝を暗殺することになる「公暁」は「くぎょう」と習い、そう覚えていた。 『鎌倉殿の13人』では、「こうきょう」と言っていた。 最近の研究で、「こうきょう」と読むことになったらしい。 公暁の名は師の貞暁と公胤から取られたものとされ、公胤とその師公顕は当時の記述で「こういん」「こうけん」と呼ばれている。 通常僧侶の戒名は呉音で読まれることが多いが、公胤が属していた園城寺では、法名を漢音で読む風習があった。 このため「公暁」の読み方も漢音に基づく「こうきょう」もしくは「こうぎょう」ではないかと複数の研究者が指摘しているのだそうだ。

 源実朝の和歌で、私が記憶していたのは、
「箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ」
「ものいはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかな親の子をおもふ」
 「箱根路」の歌は、ドラマの後の「紀行」(糸井洋司アナのナレーションで)十国峠に歌碑があると、やっていた。 鶴岡八幡宮に歌碑があると言ったか、時の権力者で、妻の血縁でもある後鳥羽上皇への忠誠を詠んだ歌は、
「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」

 実朝が北条泰時に渡して、返歌を求めて苦しませたのは、恋の歌で、
「春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなさ」
恋の歌では、こんなのもある。
「来ぬひとをかならず待つとなけれどもあかつきがたになりやしぬらむ」

百人一首93番「鎌倉右大臣」実朝の歌は、
「世の中はつねにもがもな渚こぐ海人(あま)の小舟(をぶね)の綱手かなしも」
 「つね(常)にもがもな」は、いつまでも変わらないでほしいものだ。 海人は、漁師。 綱手は、舟を曳く綱、舳先に立てた棒につけた麻の綱で、舟を陸から海へ曳き、川では陸から曳いてさかのぼる。

「今朝みれば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり」
「月をのみあはれと思ふをさ夜ふけた深山がくれに鹿ぞ鳴くなる」

 梅雨末期の集中豪雨、線状降水帯のようなものを詠んだ歌もある。 西岡秀雄先生の「気候700年周期説」では、鎌倉時代は寒冷期で、幕府が東に移ったのはそのせいもあったと聞いていたが…。 実朝、けっこう民衆のことを考える鎌倉殿だったのだ。
「時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ」

コメント

_ 轟亭 ― 2022/11/17 08:44

改めてちゃんと聞くと、『鎌倉殿の13人』第43回「資格と死角」では、「こうぎょう」と言っていた。

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