英国の対日全面戦争計画 ― 2022/11/10 07:05
ヴィクトリア女王のもと、世界を制したイギリスは、アームストロング砲(砲身にライフリングし、軌道安定、速度二倍、飛距離4キロ超)を有していた。 英国が1864(元治元)年に対日全面戦争を計画立案していたことが、英国公文書館の文書で確認された。 全面戦争を想定し、(1)海上封鎖…瀬戸内海。(2)京都の制圧…大坂を砲撃で無力化、陸軍部隊を送り込む、京都御所を掌握、(3)江戸城攻撃…江戸湾の砲台撃破、建物が木造なので城郭を焼き、侍を一掃する、江戸城は大砲の長距離射撃で落城させる。 そうしたシナリオで、他の列強の先手を取るのが目的だった。
攘夷派の事件が、口実を与えていた。 1863(文久3)年の長州藩外国船砲撃事件で、英国(仏、蘭、米の4か国)は1864(元治元)年14隻の大艦隊で下関戦争、沖合2キロからアームストロング砲で攻撃、2時間で長州の砲台を占拠した。 幕府は、巨額の賠償金を支払った。
幕府はオランダを通じて、列強の機密情報を得ていた。 国際情勢を分析する研究機関をつくり、不測の事態に備えていた。 海軍力の増強を図り、長崎海軍伝習所でオランダ士官に学び、開陽丸(射程4キロのクルップ砲を搭載)をオランダに発注、近代海軍の建設に努めていた。
英国の対日全面戦争計画は、ジョン・ラッセル外相が検討。 日本との戦争は負担が大きい、コストに見合うか、国会の承認が必要などで、戦争計画を放棄した。 富国強兵に努めていた幕府は、戦争の危機を回避できたのであった。
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