ストーンウォール号は、東艦、甲鉄艦 ― 2022/11/14 07:05
ストーンウォール号が気になった。 ストーンウォール号は、東艦(あずまかん)、甲鉄艦(こうてつかん)として知られる。
元をたどると、アメリカの南北戦争中の1863年に南軍がフランス・ボルドーのアルマン兄弟造船所にエジプトからの注文と偽装して発注した軍艦で、仮称艦名は「スフィンクス」だった。 北軍の抗議で引き渡しができなくなると、1864年3月第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争中のデンマークに売却されることになったが、戦争で劣勢となったデンマークに引取りを拒否され、南軍の手にわたって、南北戦争終結により1865年「ストーンウォール」と改名されキューバに、続いてアメリカ合衆国に売却された。 それを徳川幕府が購入することになる。 (その件は福沢に関連して、慶応3(1867)年、軍艦受取委員の実相<小人閑居日記 2021.12.10.>参照のこと。)
慶応4(1868)年、戊辰戦争が勃発、横浜に至った「ストーンウォール」を新政府側も買い取りたいと言い出し、旧幕府側が反発、アメリカは戦争終結までは「局外中立」を宣言した。 奥州越列藩同盟が崩壊して、明治新政府が認められると「局外中立」を撤廃、明治2(1869)年2月3日まだ財政が厳しかった新政府は、「ストーンウォール」(甲鉄艦)の購入に踏み切った。
旧幕府海軍は、旗艦の開陽丸を明治元(1868)年11月江差に停泊中に荒天のため座礁で失った上、明治政府の「ストーンウォール」(甲鉄艦)購入の知らせが箱館に届くと、危機を感じた榎本らは、同艦への移乗攻撃による奪取作戦を計画した。 明治2年3月25日(1869年5月6日)の、宮古湾海戦となるのだが、それはまた明日。
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