子の親を思ふ<等々力短信 第1161号 2022(令和4).11.25.>2022/11/18 07:20

 昨年6月の短信に「野口冨士男『海軍日記―最下級兵の記録』」を書いたら、珍しく沢山反響があって、何人もの方が中公文庫を手にして下さった。 大学同期で法学部卒の平井一麥(かずみ)さんは定年後、私小説を中心にした純文学作家、お父上野口冨士男さんの遺した厖大な日記を整理するため文学部に学士入学し、2008年10月に『六十一歳の大学生、父 野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』(文春新書)を出した。

 昨年は野口冨士男さん生誕110年、一麥さん傘寿の年だったが、一麥さんの父を思うお気持と努力が花開いた年でもあった。 野口さんに「文学者は浮動している」というエッセイがあって、芥川龍之介や川端康成など特別な作家を別にすれば、生きているときはたくさん本が出るけれど、名前が残るのはせいぜい死後三年、長くても五年ではないかと、書いているそうだ。 だが昨年は野口冨士男さんの本が、6月の『海軍日記』のほか、3月『なぎの葉考・しあわせ』(小学館P+D BOOKS)、5月『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』(田畑書店)、7月『巷の空』(田畑書店)、10月『風のない日々/少女』(中公文庫)の五冊も出たのである。 『往復書簡集』は、「野口冨士男日記」の翻刻、「野口冨士男書誌」の編纂をしていた一麥さんが、中心になって編纂した。

 埼玉県越谷市の市立図書館に、「野口冨士男文庫」がある。 直子夫人の出身地で、終戦直後一家でここに移住し、海軍応召時の栄養失調症を癒した縁で、生前から取り決めを交わし、平成6年大量の資料が同図書館に寄贈されて開設、以降、毎年秋に講演会と特別展を開催し、小冊子『野口冨士男文庫』を発行して24号を数える。 その号に昨年11月13日の一麥さんの「父 野口冨士男を語る」講演が収録されている。

 先月末になって、9月27日に平井一麥さんが希少癌で亡くなったことを、同期で文豪を祖父に持つTさんのメールで知ってびっくりした。 「昨年のお働きがあってよかったです、お父様嬉しくて呼ばれたのでしょうか。」と、あった。 私は8月28日に一麥さんと電話で話していたのだ。 メールでの質問に、答えてくれたのだった。

 その時、ブログ「轟亭の小人閑居日記」に吉村昭のことを書いていて、吉村は八木義徳には、文学に携わる人間の姿勢を教わり、「先生」と呼んでいたと知り、改めて『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』を見た。 八木義徳は、吉村昭・津村節子夫妻の仲人だった。 昭和24年に「キアラの会」が舟橋聖一、野口と八木、豊田三郎、船山馨、北條誠、三島由紀夫によって結成された。 「キアラ」の意味がわからず、一麥さんに尋ねたのだった。 発音は「キャラ」、わからないけれど、舟橋邸に伽羅の木があり、伽羅の間もあったようで、そこから来ているのかも、という話だった。

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