『仮名手本忠臣蔵』全十一段と初代国立劇場2022/11/30 07:13

 今回、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』「五段目」「六段目」を観て、この芝居の全体について何も知らなかったことに気づいた。 寛延元(1748)年8月、大坂竹本座で初演。 浄瑠璃作家で座本の二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。 全十一段の構成で、赤穂浪士の仇討を脚色し、背景を『太平記』の時代に置きかえている。 浄瑠璃が、後に歌舞伎化された。

 「大序」鶴ヶ岡社頭兜改めの場。 暦応元(1338)年2月伯耆国の大名、塩冶判官高定は、足利尊氏の代参として鎌倉鶴岡八幡宮に参詣する足利直義の饗応役を命じられる。

 「二段目」桃井館力弥使者の場。桃井館松切りの場。 ほとんど、上演されない。 内容は、後述する。

 「三段目」足利館門前の場。足利館松の間刃傷の場。足利館裏門の場。 しかし塩冶判官は指南役の武蔵守高師直から謂れのない侮辱を受け、それに耐えかねて、殿中で師直に斬りつけるが加古川本蔵に抱き止められ、師直は軽傷で済む。 実は高師直、塩冶判官の妻顔世(かおよ)に横恋慕していた。 塩冶家譜代の侍である早野勘平は、刃傷事件の際に顔世御前に仕える腰元のおかると逢引きをしていて、その場に立ち会えず、おかるの故郷の山崎に、おかると駆け落ちする。

 「四段目」扇ヶ谷塩冶館判官切腹の場。扇ヶ谷塩冶館城明渡しの場。 「遅かりし由良之助」で、大星由良之助初めて登場。 家臣一同の評定で由良之助は仇討の決意を述べる、城の明け渡し。 「五段目」「六段目」は今回観て、「七段目」は昨日書いた通り。

 現在、上演される場合は、1.「大序」 2.「三段目」「四段目」 3.『落人』塩冶家中が浪人となる。(ここまで昼の部) 4. 「五段目」「六段目」 5.「七段目」(このあと「討入り」の幕が付く事あり)という構成になることが多いという。

 昭和41(1966)年に開場した三宅坂の初代国立劇場は、歴史的、芸術的に優れた価値を持つ日本の伝統芸能を上演し、また、伝承者を養成して、正しく保存、継承していくための事業を続けてきた。 歌舞伎では、従来見せ場だけの上演だったのを、物語全体がわかる本来の通し狂言での公演を、一つの売りにしてきた。 しかし見慣れた客の間では、従来やらなかったところは、やはりつまらないという意見もあったようだ。

 国立劇場、『仮名手本忠臣蔵』では、昭和49(1974)年に、通常あまり上演されない「二段目」「八段目」「九段目」だけを、逆に上演する試みを行った。 また開場50周年記念として、平成28(2016)年には10月、11月、12月の三か月にわたって、『仮名手本忠臣蔵』完全通し狂言を上演した。

 ふだん上演されない『仮名手本忠臣蔵』は、また明日。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック