「棄(すつ)るは取るの法なり」 ― 2022/12/04 07:18
「棄(すつ)るは取るの法なりと云ふ。/人間の心掛けは、兎角浮世を軽く視て、熱心に過ぎざるに在り。/浮世を軽く視るは心の本体なり。軽く視る其浮世を渡るに、活発なるは心の働なり。内心の底に之を軽く視るが故に、能(よ)く決断して能く活発なるを得べし。 (『福翁百話』十三)
『福翁百話』の十にも、人生は蛆(うじ)虫に等しく、ただ一時の戯れにすぎない、というのがある。そのように人生を戯れと知りながらも、この一場の戯れを戯れとせず、本気で真面目に勤めるべきだという。本来戯れと認めるがゆえに、大事の場合に臨んで、動揺することなく、憂うることも、後悔することも、悲しむこともなく、安心して事にあたれるのだ。晩年、福澤先生は好んで「戯去戯来」という文句を揮毫した。
コメント
_ skyblue ― 2022/12/04 14:18
_ 轟亭 ― 2022/12/05 07:26
_ 轟亭 ― 2022/12/05 08:13
『星新一 一〇〇一話をつくった人』を読み始める<小人閑居日記 2009. 1.15.>
読む、思う、書く<小人閑居日記 2009. 1.16.>
『星新一』の土地勘<小人閑居日記 2009. 1.17.>
“物見高き男” 宮城前広場へ行く<小人閑居日記 2009. 1.18.>
星一と星製薬のこと<小人閑居日記 2009. 1.19.>
「星印モルヒネ」と満州<小人閑居日記 2009. 1.20.>
星新一さんの学校、父親の会社<小人閑居日記 2009. 1.21.>
_ skyblue ― 2022/12/05 08:33
星新一の作品を読みたくなりました。
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本日の中日新聞(東京新聞)日曜版で没後25年星新一が掲載されたので貴ブログ再読したくなりました。