鷲田清一さんの『折々のことば』と気が合う(2)2022/12/07 06:55

 11月30日の2572、星野博美「祖父の中にあったのは、焼ける前と焼けたあと、という区分だった。」 12月1日の2573、星野博美「家族という小さな共同体をうまく回転させるため、記憶担当者と忘却担当者で自然に役割分担するのである。」 ともに『世界は五反田から始まった』から。

 鷲田清一さんは、「町工場の連なる東京・五反田の工場地帯で戦時下をしぶとく生き抜いた祖父。彼が遺(のこ)した手記を手がかりに、ノンフィクション作家は、この地の人々が経験した残酷な定めを綴る。庶民にとっては戦中・戦後という歴史上の区分よりも、『空襲がまだ続いていても、すぐさま復興に向けて動く』という感覚と覚悟がはるかに重要であったと。」と。

私は、『世界は五反田から始まった』という本がある<小人閑居日記 2022.9.14.>、「戸越銀座」の隣町<小人閑居日記 2022.9.15.>、「戸越銀座」と「五反田」の間に<小人閑居日記 2022.9.16.>、余談、星新一さんの学んだ学校と、星製薬の整理<小人閑居日記 2022.9.17.>、「五反田」の映画館と目黒川の鉄橋<小人閑居日記 2022.9.18.>、白金の清正公、星野家の祖父、そして馬場の父<小人閑居日記 2022.9.19.>、星野製作所は鉄工所、町工場の悲哀<小人閑居日記 2022.9.20.>、「軍需工場」、バルブコック製造、アンプル製造<小人閑居日記 2022.9.21.>、父の「町工場」、短い盛衰と、その後<小人閑居日記 2022.9.24>を書いた。

それに関連してつづいて、世界は代官山から始まった、世界遺産登録へ<小人閑居日記 2022.9.25.>を書き、そこに川俣正さんが登場していた。

9月28日の2511、川俣正「終わらせないというか終わらないというか、生(なま)な状態が表現にならないかということです」(「現代詩手帖」特集版『はじまりの対話』所収)。 代官山のヒルサイドテラス、北川フラムさんが、ここのA棟で画廊を始めた38歳の頃、1984年11月大学出たてのアーティストだった川俣正さんに依頼したところ、彼は共有ロビーとA棟全体を仮囲いし、廃材を使って文字通り≪工事中≫というタイトルの個展をやり始めた。 川俣正さんは、2017年8月にはA棟の屋上まで使った「≪工事中≫再開」を大々的に行った。 鷲田清一さんは、「音楽でもそうだが、美術でも展覧会前から展覧会の後もワークショップを続けるのが面白いのは、そこに「漂い」が生まれるからだと美術家は言う。」と。

おまけに『折々のことば』右下の、『天声人語』11月28日。 「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました―。昭和の詩人、中原中也が代表作「サーカス」を書いたのは日本の中国侵略の発端となる満州事変勃発の前夜、1920年代末のことだった」と始まる。

9月16日に発信した等々力短信、のすたるぢや、萩原朔太郎<等々力短信 第1159号 2022(令和4).9.25.>に対して友人がくれたメールに反応して、私は「のすたるぢや」、中原中也の「サーカス」<小人閑居日記 2022.11.19.>を書いていた。

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