五街道雲助の「猫定」後半2022/12/14 07:11

 玉子屋新道のお滝の家、引き窓の紐がゆるんで、ガラガラ、雨が吹き込む。 屋根の上で、黒いものが……、ズシーーン! ギャーーッ!

お隣の源六さん、何でしょう? 鼠が猫でも取ってんじゃあ。 今月の月番は誰? 私だ。 一回り、回って下さい。 雨が上がった。 糊屋の婆さん、夜なべしていたのか。 親分さんのとこかな、出かけていたようだが。 こんばんは。 おかみさん、こんなところに這い出して、寝てやら。 月の明かりで見ると、喉から下に、血が出てる。 ワーーッ、おかみさんが死んでる。

東の空が白んで、猫定の親分さんが槍につかれて亡くなっていると、藪加藤の若い者が知らせてきた。 脇でもう一人、若い男が喉をえぐられて死んでいた、と。 御検視があって、定吉の屍骸は運ばれ、長屋に早桶が二つ。 お通夜の仕度、煮しめと茶飯のにぎり、酒はない、家主が不謹慎だと。

おかみさんもよくなかったね、若い男を引っ張り込んで。 お釈迦様に、聞かれている。 六道の辻で、話をしている頃だ。 源六さんも、呼び出されるよ、閻魔の庁に。 世間話をして、四つ(10時)見当、眠気を催して、こっくりこっくり、みんな寝込む。 早桶二つ、定吉の方の蓋、次いでお滝の方の蓋が取れた。 二つの仏が立ち上がり、新しい血が噴き出す。

蝋燭の火がゆらめく。 お線香を切らすからだ。 アラーーッ、小便に行って来る、後を頼む。 ハアーーッ、ワァーーッ、みんな小便、外へ出る。 帰って来たのが、長屋の住人、按摩の沙弥の市。 皆さん、中においでで? いいから中へ、ご苦労様。 誰もいない、不人情で誰もいない、あれだけ世話になって。 般若心経を唱える。 仏様の前で肝がすわっている。 お前、こんな馬鹿なことが、こんな怖いことが…。 恐ろしい、二度と見ることができない。 もう一度、見せてくれ。 今月の店賃、持ってきたら、見せてやる。 住人で、信州松本の浪人、真田ナニガシ、こういうことが死人に禍(まが)な、たまにある。 沙弥の市一人で、誰もいないのは、訳がある。 仏様が立ち上がって、こちらを睨みつけている。 聞いて、盲人が目を回すとは…。

 壁を隔て、空きだなになっている。 紙が貼ってある。 唸る声に、真田が小刀抜いて、ずばりと突き刺す。 ギャァーーッ! 化け物退治だ。 月番、確かめろ。 順に、順に、腰に付いて、小障子を開けると、奥の方で、かすかなうめき声がする。 竿の先に提灯をくくりつけ、見ると隅の方に黒い物、猫でござんす。 胸元を突かれて、両手に握っている、喉の笛を二つ握っている。

 これが江戸の評判になり、町奉行根岸肥前守が、恩返しに主人の仇討ちをした猫というので二十五両を出し、両国回向院に猫塚を建てて供養した、猫塚の由来。

二宮吾妻山散策<等々力短信 第1162号 2022(令和4).12.25.>2022/12/14 07:12

    二宮吾妻山散策<等々力短信 第1162号 2022(令和4).12.25.>

 三田あるこう会の第550回例会で、12月4日(日)二宮の吾妻山(あずまやま)を散策した。 三田あるこう会には、福澤諭吉協会、俳句の夏潮会、高校新聞の会でご一緒する宮川幸雄さんが、会長さんだったご縁で、2020年3月に入会させていただいた。その多摩湖・八国山緑地が第520回という長い伝統を誇る会なので、年間11回の開催に9回以上の出席が求められている。 しかしコロナ禍で、2020年2021年は13回が中止になって、今年4月からは毎月出席している。 10月は東海道川崎宿、11月は小山内裏公園で多摩の横山の尾根歩きをした。 散策後、昼食をして解散となる。

 東海道線の二宮駅、10時半集合。 私が二宮で思い出したのは、『ガラスのうさぎ』と山川方夫(まさお)だった。 1979年6月15日の等々力短信149号に、高木敏子さんの『ガラスのうさぎ』、戦争体験の朗読を聞いて泣いた話を書いていた。 「兄二人は出征、母と二人の妹を三月十日の空襲で失った女学校一年生が一人で疎開していた二宮から帰京の途中、迎えに来た父親をも機銃掃射で失う。たった一人疎開先で弔いを出す少女のけなげながんばり、役場の手続、荷車の手配、級友が薪を持って来てくれる。たんたんとした事実の語りかける戦争の悲惨が胸に迫る。」 駅前に、像があった。

 山川方夫(1930-1965)は、『三田文学』で江藤淳、曽野綾子を世に送った編集者・作家、「日々の死」「その一年」「海岸公園」など。 二宮駅前の国道でトラックに轢かれて亡くなった。 当時、江藤淳を愛読していて、彼の嘆きぶりを、よく憶えている。

 当番のお二人が、綿密な下見をしてくれていて、二宮駅からごく細い道を進んで、曽我兄弟の墓のある知足寺へ。 墓は急な階段を登ったところにあった。 曽我兄弟の墓は、元箱根の芦之湯(虎御前の墓も)、富士宮市、千葉の匝瑳市の医王院にもあるらしい。 秦野など近隣が産地だそうで、落花生の店に寄り、中里口から約1キロほどのゆるやかな登り坂を、136.2mの吾妻山頂を目指す。 途中薄紫の珍しい花が咲いていて、皇帝ダリアだと教わったが、普通の、下々のダリアとは、だいぶ様子が違う。

 山頂に近くなって、ヘロヘロになったが、ようやく登頂。 晴天に恵まれ、富士山こそ少し雲をかぶっていたが、大山から丹沢、富士山前の矢倉岳、金時山から神山、駒ケ岳、二子山の箱根の山々、反対側は相模湾、初島や利島、伊豆の大室山が、きれいに見渡せた。 芝生広場から階段を下り、途中、吾妻神社に至る。 日本武尊が東征の折、浦賀水道で暴風に遭い、それをおさめようと妃の弟橘姫命が入水、その後流れ着いた弟橘姫命の櫛を祀った神社とされる。 下山して、鳥居から真っすぐの参道を振り返り、吾妻山が神南備(かむなび)山、御神体山であることが、よくわかった。