初の文化財調査「壬申検査」と「東博」の収蔵品2022/12/20 07:13

 今年創立150年を迎えた東京国立博物館の収蔵品について、「廃仏毀釈の嵐と、初の文化財調査「壬申検査」<小人閑居日記 2021.9.30.>」というのを書いていた。

 暴走した民衆、廃仏毀釈から古器旧物などの文化財を守れ、海外流失を防止しようと、日本初の文化財調査ツアー「壬申検査」が実施された。 発端は1872(明治5)年に開催する博覧会の出品物考証に備えるため、文部省博物局が、太政官正局に正倉院宝物の調査の必要性を申し立てたことに始まる。 政府は、文化財の状況を憂い、全国の府県に対し管内社寺などの宝物の目録を作成させ、正倉院を始めとする古社寺の調査を文部省博物局に命じた。

「壬申検査」の「壬申」は1872(明治5)年で、5月から9月に122日間をかけ、文部省博物局は町田久成、蜷川式胤(にながわのりたね)、文部省の内田正雄に、画家の高橋由一、写真家の横山松三郎なども加わり、伊勢、名古屋、京都では御所、広隆寺、仁和寺など各社寺や華族の宝物検査を実施した。 奈良では、正倉院を天保年間以来十数年ぶりに開封(蜷川式胤の日記「奈良の筋道」に詳しい)、法隆寺も調査した。 「壬申検査」は、明治政府による文化財保護へのはじめての対策であった。

1878(明治11)年、法隆寺に伝来した宝物300余件が皇室に献納され、法隆寺献納御物と呼ばれ、正倉院に収蔵された。 一部は1882(明治15)年に旧本館が開館した東京国立博物館に移され、残りも戦後、紆余曲折を経て東京国立博物館に収蔵され法隆寺献納宝物として「法隆寺宝物館」に展示されている。 正倉院より一時代前の飛鳥時代から奈良時代前期の工芸品、仏像等を多数含み、歴史的、文化的に価値が高い。

1881(明治14)年博物局は、農商務省に移管された。 東京国立博物館は、1882(明治15)年ジョサイア・コンドル設計の旧本館が開館。 1889(明治22)年帝国博物館、1900(明治33)年国立帝室博物館となった。