落語「扇屋花扇」、歌舞伎「廓噺山名屋浦里」 ― 2023/01/12 07:15
タモリが鶴瓶に材料を提供して新作落語にし、歌舞伎にもなったという「扇屋花扇」が気になったので、調べてみた。 扇屋の花扇は、いわゆるナンバーワンの大名道具、教養のある花魁だったらしい。 宝暦年間(1760年頃)に、吉原芸者の発祥となった花魁だということだ。 花扇の名は、代々継いだようで、喜多川歌麿の浮世絵「当時全盛似顔揃」に「扇屋内 花扇」があり、四代目花扇を描いたもので、寛政6(1794)年の作だそうだ。 しかし、歌麿に「高名美人六家撰」に「扇」・「矢」・「花」・「扇」それぞれの絵を、画面上部の題名欄に描いた浮世絵がある。 寛政5(1793)年遊女以外の女性の名を絵の中に記すことが禁じられたため、苦肉の策として名前を「判じ絵」にしたのだ。 残念ながら、鶴瓶の新作落語「扇屋花扇」は、「小人閑居日記」のようにあらすじを書いた人が見つからなかった。
タモリは「ブラタモリ」で吉原へ行った時、この話を仕入れ、のちに鶴瓶と共演した折に落語にしたらと話したのだそうだ。 落語の上演は2015年1月、翌年8月歌舞伎「廓噺山名屋浦里」として、中村勘九郎、七之助で上演され、2021年11月にも赤坂大歌舞伎としてTBSのACシアターで勘九郎、七之助で再演されたのだそうだ。 鶴瓶と十八代中村勘三郎が親しく、鶴瓶の長男の俳優・駿河太郎と勘九郎が親しいという関係があった。
「廓噺(さとのうわさ)山名屋浦里」は、くまざわあかね作、小佐田定雄脚本。 ある藩の江戸詰の武士、生真面目で融通の利かない酒井宗十郎(勘九郎)が、同僚に疎まれていて、次の寄合の趣向に江戸の妻、吉原の馴染の花魁を連れて行って、競い合うことを提案される。 そんな当てのない宗十郎、ふとしたことで知った、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの花魁、山名屋の浦里(七之助)の元に、頼みに行くことになる。 山名屋の主人を中村扇雀、宗十郎にいじわるする同僚に、坂東彌十郎、片岡亀蔵ら。 山名屋の主人にはあっさり断られるが、その場にいた浦里は侠気に富んでいて、事情を知ると意気に感じて、江戸の妻役を引き受ける。
寄合に一人で現れた宗十郎は、同僚たちにさんざんなじられている。 するとそこに、浦里の花魁道中がやって来るのだ。 浦里の打った大芝居に、同僚たちの奸計はあえなく潰えた。 宗十郎は面目を施す。 あとで謝礼の金子を持って訪ねるが、その真心に惚れた浦里は受け取らず、これからも会いにきてくれるかと、懇願するのだった。
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