柳家喜多八の「盃の殿様」後半 ― 2023/01/14 07:09
喜多八「盃の殿様」の後半<小人閑居日記 2015.1.26.>
しかし参勤交代、お国入りということになって、今宵、暇乞いと、ご本格で出かける。 その方の仕掛けをもろうて帰る、と小判を積んだ。 ありがとうござんす。 別れの酒を交し、花扇は大盃をぐっとあおった。
九州のお国許まで三百里、吉原が懐かしい。 仕掛けと盃を持て。 弥十郎、その方でよい、仕掛けを着て手拭を姐さんかぶりにして、余の膝にしなだれかかれ。 どうも、狆が餌を待つようで…。 殿はん、浮気をすると許しませんよ、と申せ。 膝をつねれ。 痛い!! 吉原は、恋しいな。 奴(やっこ)で、江戸まで十日で勤める者を呼べ。 お目見得以下でございます。 許す。 この盃を、花扇の許(もと)まで届けて参れ。
九州の城を出て、小倉まで行き、船に乗って兵庫へ、大坂と京都の藩邸に寄り、東海道を草津、亀山、桑名へ、熱田まで舟で渡り、岡崎、吉田、浜松、掛川、由比、蒲原、富士山を左に見て、箱根の山を越え相州小田原、大磯、平塚、戸塚、神奈川、品川宿に着き、高輪の大木戸を抜けて、新橋、京橋、日本橋、神田須田町、上野広小路、御成街道をまっつぐに稲荷町、雷門をくぐり、日本堤にぶち当って、緋縮緬のふんどしがプツリ、吉原は扇屋右衛門に着いた時には、奴さん、ずいぶんとくーたびーれた。 憶えた私も、くたびれた。
花扇、涙を流して飲み干すと、殿はんにご返盃。 奴、再び駆け出したが、箱根の山中で、大名行列の供先を切って、取り押さえられる。 主名だけはお許しを、これこれの火急の使いで。 その殿様、吉原の遊君との盃のやりとりとは面白い、大名の遊びとは、かくありたいものだ。 盃を拝借、途中、面白う頂戴致したとご主君にお伝え願いたい、と息も吐(つ)かずに飲み干した。
九州の城に帰って、報告をすると、殿様。 その大名に、もう一盞(いっさん)と申して参れ。 可哀想なのは、この奴。 明治初年まで、探していたと申します。 私も、これで、ご免。
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