伊藤公平塾長の2023年頭挨拶2023/01/16 07:05

 1月10日は、第188回の福澤先生誕生記念会、今年は三田キャンパスの会場に入れたが、リモートでも配信されるというので、家で見ることにした。

 伊藤公平塾長の年頭挨拶、昨年は『学問のすゝめ』初編刊行から150年ということで、まず二つ引いた。 十編の初め、「人たるものは唯一身一家の衣食を給し以て自から満足す可らず、人の天性には尚これよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、其仲間たる身分を以て世のために勉る所なかる可らず。」 人間の崇高な約束は、グローバル社会の一員、シティズンとして世界の発展に寄与する先導者になることだと、塾長は解釈した。 五編には、「大凡世間の事物、進まざる者は必ず退き、退ざる者は必ず進む。進まず退かずして瀦滞する者はある可らざるの理なり。今日本の有様を見るに文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴けり。」 世間の物事は、進歩しないものはそのまますたれていき、進む努力を続けるものは必ず前進するものである。 学び続けなければならない、と塾長は述べた。

 3日の新聞朝刊に出た「新春 躍進する大学」の広告で、慶應義塾大学は塾長と赤煉瓦の旧図書館の写真を掲げ、「理想を追求し「全社会の先導者」を育てる学塾」と謳った。 「創立者である福澤諭吉は慶應義塾の目指す姿について、「単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず、(中略)以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」と記しました。慶應義塾とは、この目的を達成するための塾生(学生)と教職員と塾員(卒業生)の集まりです。」とある。

 2008(平成20)年の創立150周年の頃から、福澤先生誕生記念会で、この「全社会の先導者」という言葉を、よく聞くようになった。 学生時代には聞いた記憶がなかった。 塾員(卒業生)まで、その集まり(社中)に入っているのだ。 内々の会で言うのは、まだいいけれど、私などは少しこそばゆい感じがしていた。 若い人は、この国を背負っていかなければならないと言われて、どうしても背負うんですかと確かめ、それなら信州の軽井沢あたりを、という落語のマクラがあった。 私などは、その口だから、「先導者」は恥ずかしいのである。 どうも、すみません。