「独立自尊」と「女性の自立」2023/01/19 07:06

 髙橋裕子津田塾大学学長の記念講演、演題の「福澤諭吉と津田梅子」の部分に移る。 福沢の慶應義塾は1868(慶応4)年命名、津田梅子は32年後の1900(明治33)年に女子英学塾(津田塾大学)を創立した。 ともに現在も「塾」の名を刻む大学である。 慶應義塾のウェブサイトを見ると、「義塾」の名は福沢が英語の“パブリックスクール”を参考に、この言葉に新しい知識のための学塾という意味を込めた。 「独立自尊」自他の尊厳を守り、何事も自分の責任・判断のもとに行う事を意味する。 「気品の泉源」学問を修得していく過程で、「智徳」とともに「気品」を重視していた。 人格を備えた社会の先導者となることが、義塾における教育の目標の一つ。

 津田梅子も、女性の自立、インデペンデントであれ、と説いた。 高度な専門教育によって、経済的にも、精神的にも自立した女性を育てる。

 福沢は窮理学(物理学)、梅子は生物学、ともに理系を重視した。 福沢は三度の海外渡航、梅子は11年と3年の留学、5回の海外渡航をし、女性の地位など西洋事情を体験した。 「海を渡る」ことは意義深い、ともに人生の分岐点になっている。 福沢の肉声の録音はないが、梅子のスピーチはレコードに録音されている。 卒業生18名への式辞、真理、愛、献身を、船の推進に譬えて、灯台の光を目標に進めること、社会に貢献するように、家庭を超えて社会に役割を果たすようにと、従来の女性像に警鐘を鳴らしている。 人生を無駄にせず、社会に働きかける有為の人となれ、市民として、自立した個人であれ、と。

 ひるがえって、現在の日本はどうだろう。 低迷が続いている。 福沢諭吉と津田梅子、二人の「海を渡れ」、「知的基盤を持て」に学んで、若い人に日本の岩盤を切り崩すパイオニアになってもらいたい。

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