楠木正成、多聞丸正行「桜井の別れ」2023/02/27 07:08

 翌日、多聞丸は初めて甲冑を身に付けた。 昼前、百騎ほどの郎党で京を発った。 摂津に入ったところで、叔父正季の率いる軍勢と合流する段取りだという。 そこは大原駅、駅は駅家(うまや)とも謂(い)う、駅馬が飼われており、疲弊した馬を乗り換えたり、食事を摂ったり、宿所を使ったりした。 大原駅、一本の立派な桜の木があるので、地の者は「桜井の駅」と呼んでいた。 正季が率いて来た兵の数は、ざっと5、6百だった。 多聞丸が、他の軍勢は遅れているのかと問うと、父が代わって「これで全てだ」と答えた。 秘策があるのだろうと訊くと、「合せて7百騎、これで足利に当たる。策など無いのだ」と。

 この戦は勝ち目が極めて薄いと解っている、父正成はとうに死ぬ覚悟を決めているのだ。 「お主はここから東条へ帰れ」、供に若い郎党を二人付けて送り届けるつもりだという。 「なかなか言いだせずにすまなかった」、父はそっと背を摩(さす)ってくれた。 「多聞丸、よく聞け」、この戦、百中九十九まで負ける、5千騎のすべてを動員して敗れてしまえば、楠木家はもはや再起不能に陥る。 7百騎を連れて行く訳は、一厘に賭けるからだ。 「尊氏を討つのですね」と訊くと、狙うのは別、「足利直義、高師直の二人だ。これを同時に討ち取る」。 足利軍も、それは判っており、軍を二手に分け、尊氏と師直が海路、直義が陸路を進んでいる。

 7百の兵たちは、楠木党の中でも父と苦楽を共にしてきた年嵩の者ばかり、将来を託して若い世代から順に残してきている。 「帰って来られぬかもしれぬ。故にこれよりお主を楠木家の当主とする」、自らの腰の刀、初めて邂逅した折、後醍醐帝から拝領した「小竜景光」を抜き、多聞丸に渡した。 「大塚惟正が輔(たす)けてくれる」、繰り返し同行を迫る大塚に、地に膝を突くように懇願して了承させていた。

 父は、今後のことで、もう一つ大切なことと、この戦で自らが地上から消え去ったならば、その後に起こることを語った。 「その時、お主は英傑の子として、忠臣の子として、世の中から父の如き男になって欲しいとの期待を一身に集めることになる」「その期待に添う必要はない」「お主はお主の道をゆけばよいのだ」。 暫しの静寂の後、多聞丸は絞るように言った、「私は……戦は止んで欲しいと……」。 「そうだな」、父は穏やかな笑みを浮かべつつ頷(うなず)く。

 「己の想うままに生きればよい。それでたとえ不忠と罵(ののし)られようとも、臆病と嗤(わら)われようとも。それが父の真実だ」