「お雛さま 岩崎小彌太邸へようこそ」展を見る2023/03/01 07:24

 21日に、また静嘉堂@丸の内に行って来た。 静嘉堂創設130年、新美術館開館記念展III「お雛さま 岩崎小彌太邸へようこそ」展である。 丸の内に移った静嘉堂文庫美術館へ行く<小人閑居日記 2023.1.22.>と、福を運ぶ七福神と童子たちの御所人形<小人閑居日記 2023.1.23.>を書き、1月22日に「入口の横に胸像があったのは、岩崎彌太郎と岩崎彌之助だったと思う(彌之助が不確かなのは、展覧会が岩崎小彌太の還暦祝いがメインだったからだ)。」と書いたけれど、胸像は岩崎彌之助と岩崎小彌太だったので訂正する。 「静嘉堂」の創設と拡充をした二人だったわけだ。

 岩崎家のお雛さまは、三菱第四代総帥の岩崎小彌太(1879(明治12)-1945(昭和20))が、孝子夫人のために、京都の人形司、丸平大木人形店の五世大木平蔵に特注し、3年を費やして制作されたものといわれている。 その代金は2万円、現在の1億円という。 1929(昭和4)年に竣工した小彌太の麻布鳥居坂本邸(現・港区六本木国際文化会館)の大広間で披露されたのだそうだ。 その披露の時と同じように、雛人形段飾りの背景に立つ高さ約3mの、明治画壇を先導した日本画家・川端玉章筆≪墨梅図屏風≫(初公開)とともに、展示されている。 このお雛さまは、第二次大戦後、一時は散逸、離ればなれになっていたが、京都・福知山の人形コレクター桐村喜世美氏の目に留まって、数年かけて全15体の雛人形を探し出し蒐集され、長い旅をして、再び離ればなれにならないようにと、2018年静嘉堂文庫美術館に寄贈されて戻って来たのだという。

お雛さまは、「初春を祝う七福うさぎがやってくる!!」展で知った御所人形で、白くつややかな丸顔の童子風である。 顔の大きな内裏雛、三人官女、五人囃子、随身(左大臣(左近中将)、右大臣(右近少将))、仕丁(笑い上戸、怒り上戸、泣き上戸)。 着物や雛道具には、当時の工芸技術の粋を集め、精緻な刺繍や漆芸、彫金の技を用いて、岩崎家が家紋の代わりに用いた「花菱紋」が見られる。

 雛道具は、几帳、雪洞(ぼんぼり)、菱台、桜・橘、三方瓶子(お神酒入れとその台)、高坏(たかつき、食物を盛る脚つきの台)・行器(ほかい、食物をはこぶのに用いる木製の容器)、掛盤(晴の儀式に用いる膳の一種、食器をのせる台)・飯器・湯桶、小袖箪笥・衣装箪笥、座布団・布団、長持・挟箱、楽器(龍笛・篳篥(ひちりき)・笙・六弦琴・箏(こと)・鉦鼓(しょうこ)・楽太鼓・鞨鼓(かっこ、木製の胴と2枚の革面を調紐で締めたものを台に据えた打楽器)、楽器(三味線・胡弓)、書物箱・文台・硯箱、衣桁・振袖、袱紗、長刀(なぎなた)・台笠・立傘。 振袖は、白綸子地合貝(しろりんずじあわせがい)桜橘文刺繍・紅地松に菊桐文刺繍の見事なものだったが、昭和前期の写真から複製したものだそうだった。

 入口に、江戸時代の男雛65センチの大きな立雛(次郎左衛門頭)がある。 次郎左衛門頭とは、引目鉤鼻のまん丸の顔立ち、人形師「御雛屋次郎左衛門」の最高の格式のものだそうだ。 他に、孝子夫人の愛蔵の、市松人形や、五世大木平蔵作の這い這いしている這子人形も展示されている。 市松人形というのは着せ替え人形の一種で、京阪地方で「いちまさん」の愛称で親しまれ、その名は江戸中期の歌舞伎役者佐野川市松に似ていたところから来たという。

巨陶、岩崎小彌太の俳句と高浜虚子2023/03/02 07:02

 「お雛さま 岩崎小彌太邸へようこそ」展の、お雛さまが飾ってある部屋の柱に俳句が二句あった。

   老の眼を細めて見るや雛祭り  巨陶

   招かれて儒者も参ずる雛祭   巨陶

 巨陶は、岩崎小彌太の俳号だった。 以下の話は、『岩崎小彌太―三菱を育てた経営理念』(中公新書・1996年)という著書のある宮川隆泰さんが、三菱広報委員会発行『マンスリーみつびし』1999年7月号に書かれた「志高く、思いは遠く―岩崎小彌太物語 VOL.14俳句・岩崎巨陶」によった。

 岩崎小彌太がいつ頃から句作を始めたのかははっきりしないが、昭和5(1930)年より前の句は残っていないので、この頃だろうという。 時代は世界大恐慌の影響を受けた真っ最中、小彌太自身も執拗な不眠症のためにダウンし、主治医の佐藤要人(三菱診療所長)に静養を命じられていた頃である。 この要人先生、やせて小柄、ややとぼけた雰囲気の内科の名医だったそうだ。 俳号を漾人(ようじん)というホトトギス派の俳人で、社長・小彌太に、心のゆとりを持たせ、精神のバランスを保たせるために俳句をすすめたのであろうという。

 これより先、三菱は丸の内に丸ビルを建設する。 大正12(1923)年に建てられたが、同年の関東大震災で被災、修理して大正14(1925)年に再度完成した。 丸ビルが出来て、最初のテナントを募集すると、ホトトギス・高浜虚子の名があった。 地所部長の赤星陸治は、牛込の家の座敷で箱火鉢にあたり俳句をひねっている虚子のような大家が、この文明の最先端を行く、万事が洋式の丸ビルに飛び込んできてホントに大丈夫か? ともかく一度話をしてみよう、と会ったところ、たちまち意気投合してしまった。 それ以来(大正12(1923)年1月から)、俳句結社ホトトギスは73年後の丸ビル閉館までここに本拠を構えることになったのである。 赤星自身も、俳号を水竹居(すいちくきょ)という俳人だった。

 高浜虚子は、漾人(佐藤要人)から水竹居(赤星陸治)を通して句を見てやって欲しいと依頼があって、岩崎小彌太の句を、句稿20句くらいずつまとめてみることになった。 「最初から初心と思われる句はなく既に一家をなして居られる様な句であった。」「俳号を附けて呉れというので、古陶と言う号を撰んだところが、古の字が気にいらないと自分で巨陶と号されたのである。この<古>を嫌って<巨>を撰んだところに巨陶氏の面目がある」「氏の体躯の偉大であった如く、氏の気宇も亦(また)雄大であった。句を成す上に於て規模が大きくこせこせしない所があった。」

岩崎小彌太の第一句集『巨陶集』2023/03/03 07:06

 そして「お雛さま 岩崎小彌太邸へようこそ」展には、岩崎小彌太の私家版句集『巨陶集』(昭和11(1936)年)、『早梅』(昭和19(1944)年)が展示してあった。 57歳の時の『巨陶集』表紙は侘助の絵で、安田靫彦の紙本着色の≪侘助≫も展示されていた。 これも展示の高浜虚子の短冊、<身みずから白わびすけを生けむとす>(?)は、『巨陶集』の序文中にある、小彌太の侘助の句に対する挨拶句だったかと思う。(不確か。お分かりの方は教えて下さい。)

 宮川隆泰さんの「志高く、思いは遠く―岩崎小彌太物語 VOL.14俳句・岩崎巨陶」に、岩崎小彌太の句がある。 『巨陶集』冒頭の句は、昭和5年の作。 いずれも別邸のあった箱根の芦の湖畔で詠んだもの。
山の上の湖青し雲の峰
秋近し雲の上なる雲の峰
名月や濁ることなき芦の湖
南に見下ろす湖や星祭
四山よくこだまを返す花火かな
秋晴れや昂然として丘にたつ

 時代は昭和初期、その切片も詠み込まれている。
ルックサック負うて女や雲の峰
対岸のキャンプなお在り今朝の秋
職もなく佇む人や枯柳
事多き身には恋しき枯野かな

 小彌太はまた、京都の風情をこよなく愛した。
京言葉耳に楽しや春の宿
春雨の傘かしげ見る東山
京うれし春雨傘のさしどころ
たれも来よかれも来れと桜狩
しみじみと聴き入る鐘や京の秋

 昭和6年晩秋、小彌太は病が癒えて、全快の喜びを詠んだ。
黄菊白菊一度に咲きし思いかな

この中で、私が思ったこと。 <秋晴れや昂然として丘にたつ>は、高浜虚子、大正2(1913)年の作<春風や闘志いだきて丘にたつ>を踏まえているのだろう。 河東碧梧桐の新傾向に反対して、虚子が散文の世界から俳壇に復活した時の決意の句、間もなく、『ホトトギス』の雑詠に多くの作家が集まり、『ホトトギス』は第一次黄金期を迎える。 岩崎小彌太は、世界大恐慌の影響を受けた社業に、何か新たな気持を持って、向かい合おうとしたのだろうか。

昔昔亭昇の「やかんなめ」2023/03/04 07:07

 2月24日は、第656回の落語研究会だった。

「やかんなめ」  昔昔亭 昇

「納豆や」    三笑亭 夢丸

「突き落とし」  春風亭 一朝

       仲入

「三人無筆」   柳家 小せん

「按摩の炬燵」  柳家 喬太郎

 昔昔亭昇、せきせきてい・のぼる、紫の着物で、ありがとうございます、と出て来て、客席に手を振る。 家族がいる、と。 落語研究会、夢の瞬間で、続きが見たいので、昔昔亭昇を出すように、ハガキを5枚ずつ出してもらいたい。 おバカな噺で、と噺に入る。 癪(しゃく)というご婦人特有の病気がある、何かに驚いた時に、軽い胃痙攣のようになる。 薬は、「合薬(あいぐすり)」という民間療法があって、一つはフンドシの臭いをかぐ、もう一つは親指で腰骨を強く押す。 さる商家のお内儀さんは、薬缶をなめるのが「合薬」だった。 お清という女中と小僧の貞吉を供に、ご隠居さんの所へ行くことになった。 貞吉が荷物に薬缶があるのを見て、薬缶は間違ったんだろうと、重箱だけ風呂敷に包んで出かける。

 原っぱの真ん中で、道を青大将が横切り、お内儀さんがハッハッと癪の発作を起す。 お清が、貞吉、薬缶を出して頂戴、と。 薬缶は、置いて来た。 原っぱの真ん中、薬缶を借りる家もない。 そこへ、侍と中間(ちゅうげん)の可内(べくない)、仲の良さそうな主従がやって来た。 あの店で、一番美味しいのは塩豆大福だ、などと話している。 お清が、あのお侍さんのおつむりの形、うちの薬缶にそっくり、あれ借りられないかしら、と。 駄目、無理だよ。 失礼な奴、手討にしてと言われたら、その時はその時、お願いしてみましょうか。

 お願いがございます。 何だ、娘御、仇討ちの助太刀か? 腕には、自信がある。 可内は、道場にたった三か月通っただけ、と。 四か月だ。 お内儀さんの仇、主の仇か。 蛇なんでございます。 マムシはいかんぞ。 普通の青大将で。 実は、お内儀さんがそれを見て、癪の発作を起したんで。 家内もよく癪を起す、拙者にフンドシを貸せ、臭いをかぐというのか、いい憎いな。 それとも親指か、江戸中探してもこれほど見事なマムシ指はないぞ。 そうではございません。 薬缶をなめるというのか、持っておらん。 代わりの物で、お武家様のおつむりが、薬缶と瓜二つでございまして、ぜひとも主人になめさせてあげて下さい。 可内は、減るもんじゃないから、なめさせてやりなさい、と。 これ娘御、儂(わし)の頭か、天下の直参の…。 ご賢察でございます。

 無礼者、そこにならえ、勘弁ならぬ、可内、何を笑っておる、素っ首落としてくれる。 二つに一つとお願いをいたしました、この首をお好きなように。 何、覚悟して参ったのか、泣かせるのう、可内、指をさして笑っておるな、同じ奉公人でありながら…、笑うのは止めろ、見ろこの娘御、命をかけても主人を助けようとしておる。 クソーーッ、あいわかった。 本当であれば、許しがたいことではあるが、主人を思うそのほうの気持に免じて、ちょっとだけなら、なめさせてやろう。 私、人形町の……。 名乗らんでよい、儂も名乗らん、礼にも来なくてよい。 娘御泣くな、可内笑うな。 可内、まわりを見張れ。 ハウハウ、ベーロベロベロ、ベーロベロ。

 お内儀さん、気が付きましたか。 アァ、みんないたのか。 こちらのお武家様のおつむりをなめさせて頂いて、癪が通じたのでございます。 しょっぱくて、脂ぎっていて……、アァ、アアーーーッ! 大丈夫か? もう一度、なめさせてやるか。

三笑亭夢丸の「納豆や」2023/03/05 07:31

 夢丸、ヘラヘラと出て来て、感無量だと、落語研究会は励みになる、二回出たが無観客の収録で、寂寥感があった。 酷かったのは3年前の5月6月、ステイホーム、「家を出る者に死を」という感じだった。 パソコン一切使えず、配信など出来ない、テープレコーダーでカセットに入れて、知り合いに送りつける。 移動リスク、密リスクはない。 自宅から配信してやろうという人がいて、鎌倉、移動リスクがあった。 6畳間で、4畳が高座で、2畳にスタッフ、これは密。

 コロナで、家に居ながら、買えるのが増えた。 昔も、売りに来た、戦後も豆腐、納豆。 叔父さん、銀之助か、働かずにゴロゴロしてるんだってな。 待ってくださいよ、叔父さん、ブラブラしているだけ、商売を考えている。 どんな仕事だ? 膝を抱えたお婆さんがいたので、負ぶって医者に診せた。 遠慮するのを、何かの縁だと、家まで送ったら、大邸宅、お金持、身代をあなたに受け取って頂きたい。 じゃあ、というのを探す仕事です。 実は叔父さんに相談に来た、コツコツ貯めたお足がある、商売は何がいいかな。 いくらだ? わが社の資本金、指5本(下向きに出す)。 5万か。 5千より下。 5百円か。 残念でした。 いくら? 50円。

 納豆やをやるか。 やらない。 絶対にやるよ。 強情だね。 私も叔父さんと同じに強情だ、少し歩くと東十条。 納豆や、振りだけしようか。 籠を担ぐ。 若い者のやることじゃない、風呂敷で行ってきます。 元手は、私が払ってる、50円出せ。 受け取って下さい、受け取れるもんなら。 50円、風呂敷の中から、納豆、買って下さい。 一個。 ありがとうございますとか、お世辞を言え。 叔父さんに栄光あれ、万歳!

 売り声がいるな、ナットーッ、ナットーッ、ナットーーッ!  すみません、つかぬことを伺いますが、このあたりに納豆やあります? ない。 どうするんで。 食べたい心持になったら、買いに行くか、納豆やが来るのを待つ。 私が納豆やだったら、どうします? 一つ位、買う。 初めまして、納豆やです。 いくらだ? 8万円。 高いな、負けろ。 5円です。 どこの納豆だ? 叔父さんちの隣の。

 表札がある、鬼ヶ口権太兵衛(ごんたひょうえ)、強い奴にガーンとやるか。 (大声で)コンチワー! はい。 良さそうな人だ。 納豆は、いかが。 納豆は、ネバネバするから食べません。 隣は、鬼頭(おにがしら)権太左衛門。 コンチワー! なんだ、なんだーッ? 納豆やで。 納豆やかーッ、いらねえーッ。 お勝手から、行こう。 すいません……、同じ奴だ。

 路地のこの辺りはどうだ。 山本じゃないか。 吉田か、この辺り判りづらいんだ、木村も居候をしてる。 風呂敷、お土産か、気を遣うな。 全部、納豆だ、納豆ややってる、一本5円でわけてやる。 偉いな、売れ残ったら、俺んちへ持って来い。 明日から、毎日来るよ。

 毎日、毎日、毎日、行く。 今日は32本しかない、山本はいないの? 女中さん、どうかしましたか? 居候の木村さんが、身体がネバネバになりました。 納豆として生き、納豆として死ぬ、ネバネバで死んだら故郷の水戸に葬って北千住。 身体に塗ってくれ、辛子だ、もう助からねえ。 くさるなあ。 もう、腐っている。 ねばれよ。 もう、ねばっている。 ネバー、ギブアップ! みんな、吉田の所為だ。 全部、あいつの所為だ。 あいつがみんな、裏で糸を引いていたんだ。