「何かよそでやっていないことはないだろうか」2023/03/29 06:45

 松居直さんは、出版という「仕事」を選び、その自分に与えられた「仕事」をどれだけ発展させていくか、広げていくか、深めていくか――そこに生きがいを感じた。 それは今でも変わらず、仕事をすることは、生きることだ、と思っている。

 当初福音館は中学生や高校生向きの小事典のシリーズを作っていて、全部で百冊くらい出した。 中でも松居さんが一番作りたかったのは『憲法・宣言・条約集』で、アメリカの独立宣言の本文は、よほど詳しいアメリカ史の専門書以外には載っていなかったのを、あの本文が大好きだったので、全文掲載した。 そういうオリジナリティというものを、どんな小さな企画でも大切にしていた。 日本の古典の全訳シリーズも出して、抄訳が多く、全訳は意外となかったので、評判になった。

 これで私が思い出したのは、また福沢諭吉。 慶応2(1866)年の秋から冬にかけて版行された、『西洋事情』初編巻之二「亜米利加合衆国」で、「千七百七十六年第七月四日、亜米利加十三州独立の檄文」(独立宣言)と、「千七百八十七年議定せる合衆国の律例」(合衆国憲法)を逐条翻訳したことが、幕末明治の日本にどれだけ大きな影響を与えたかである。

 さて福音館書店は、小事典シリーズは軌道に乗ったものの、金沢での出版活動に限界を感じて、入社の翌年昭和27(1952)年に会社は東京に移り、これまたゼロからのスタートとなった。 大手や老舗のある東京の出版事情で、学習参考書や辞書ではとても生きていけないとわかり、何かよそがやっていないことはないだろうか、と考えた。 戦後、民主主義の中で、子どもを平和と自由に向けて育てるにはどうしたらいいのか、いろんな議論があった。 児童文学の面でも、「岩波少年文庫」が活発に出ていた。 ちょうど、その頃第一子が誕生したこともあり、なんとか新しい児童文学、新しい子育てや保育にぴったりくるような子どもの物語を発掘したいという思いが募っていった。 そこで、母親と幼児を対象とした家庭教育と保育にかかわる月刊誌を作ることにして、昭和28(1953)年に創刊した。 雑誌名は『母の友』、主な企画は「こどもにきかせる一日一話」だった。

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