保阪正康さんの『最後の講義』2023/04/12 07:15

 保阪正康さんの『最後の講義』(3月9日BS1放送)を見た。 「今日が人生最後の日なら、何を伝えたいか」という番組だ。 会場は、自由学園明日館、聴くのは、保阪さんの孫のような若い人が多かった。

 保阪正康さんは83歳、もうそんなに時間が残されているわけではない、歴史とは何か? を、次の世代に正直に伝えたい、と言う。 日本は、なぜあんな愚かな戦争をしたのか? 愚かさの理由を具体的に見ていくことが、残された時間での検証対象だ、と。 保阪さんは、4千人の証言を聞いているので、自分自身が媒体となっており、それが消えていくのがもったいないと思っている。 証言を聞くのには、人を見抜く目が必要だ。 歴史から未来を開くことを試みて、過去や未来を語りたい、と始めた。

 保阪正康さんは、1939(昭和14)年の札幌生まれ、出版社で雑誌の編集をしていたが、30歳で子供が生まれた。 あの戦争は何だったのか。 侵略は反省しなければならないが、その前になぜ20歳すぎの青年たちが死ななければならなかったのか、兵隊、指導者は、何を考えていたのか。 証言を集めて、実証的に調べていき、下から史実を確定するのが大事だと、気付いた。 学者は資料だけで記述している。 だが、資料は燃やされていた。 資料が乏しい時代の歴史を証言から実証的に探ることが必要だと、証言の重要性を感じた。 その仕事に専念するために、会社を辞めた。 妻と子(子供が3人いる写真が出た)のいる中での決断だった。

 あの戦争は、日本だけで310万人の犠牲者を出した。 まず、東條英機の評伝を書こうとした。 昭和49年~50年、東條英機のかつ子夫人と、30回ぐらい会った。 手紙を出す、そのやりとりに1か月ほど、そして会う。 出版社や新聞社ではなく、一個人として裸で会う。 すると、語ってくれる、人間と人間の勝負。 開戦2日前の12月6日、東條英機の寝間で泣き声がする。 覗くと、東條は蒲団の上に正座して、天皇(宮城)の方を向いて、泣いていた。 泣くのは、日本の指導者の最後の手だ。 5年、100人余りの証言を取材して、『東條英機と天皇の時代』(現、ちくま文庫)を出版した。 大きな反響があり、歴史に一石を投じた。 最後に、こう書いた、「東條は六十四歳の生を閉じた。しかし、いつの日か〈東條英機〉は、もう一度死ぬであろう。彼に象徴される時代とその理念が、次代によってのりこえられるときこそ、〈彼〉は本当に死ぬのだ。」

(前に、保阪正康さんの朝日選書『陰謀の日本近現代史』(朝日新聞出版)を読んで、天皇の前で東條首相が泣いたわけ<小人閑居日記 2021.5.2.>や、再び、保阪正康さんの皇室論<小人閑居日記 2021.4.26.>、昭和天皇と日米開戦<小人閑居日記 2021.4.27.>など、開戦の経緯をいろいろと書いていた。)