「証言を聞くには、人間を見抜く眼が必要」2023/04/13 06:54

 保阪正康さんの『最後の講義』、戦争から見えた日本の特質の話になる。 昭和20年8月14日の御前会議、みんな泣いている。 私たちの国は、政治が理性とか理念とか合理的精神で分別(ふんべつ)されるべきなのに、涙でごまかされて行く弱さがある。 泣くという感情で、事態と向き合う。 戦争というものを、感情でしか見ない。

 兵士は戦場体験、戦争の苛烈さを、一生話さない。 証言を聞きに行き、まわりに人のいる応接間でなく、荒川の土手なら話してくれる。 日本軍は、あの時、おかしかった、自分が怖い、鬼になる。 君と会えてよかった、何分の一かは軽くなった。 聞くことは、彼が背負っているものを受け継ぐことだ。 生身の人間の証言の中に、生きた人間の姿がある。

 父は、高校の数学教師だったが、片耳が聞こえなかった。 横浜二中在学中に、関東大震災に遭い、足を引っ張る人に水を飲ませたら、頭を棒で叩かれた。 何で中国人に水を飲ますんだ、と。 目の前で、その中国人は殺害された。 父は終生、横浜へ足を踏み入れなかった。 そのことも言わなかった。 逃れられない記憶の中で生きていた。

 4千人の「聞き書き」をした。 「聞き書き」には、1:1:8の法則があるといわれる。 1.正直な人、1.嘘をつく人、8.記憶を美化する人。 1割の人は、きちんと自分の記憶を整理して話せる。 1割の人は、初めから嘘を言う。 8割の、私たちは、自分の都合の良いように記憶を改竄(かいざん)する。 そこで、証言を聞くには、人間を見抜く眼が必要で、余計なものを除いた原形質を見なければならない。 歴史を継承するには、人間に興味を持つということがなければならない。