戦争体験の教訓を、未来に語り継ぐ2023/04/14 06:53

 繰り返される戦争、現在もロシアとウクライナの戦争だ。 戦争論が変わった。 クラウゼヴィッツ(プロイセンの軍人、1780-1831)の「戦争論」、「戦争とは、異なる手段をもって継続される政治である」は、通用しない。  戦争を回避するには? 戦争を選んだら、勝者も敗者もない。 新しい戦争論を出さなければならない。 核抑止力下の平和論は、ロシアにとって何の意味もない。 核を持つ国のエゴイズム。 核を持つ国の平和論を、核被爆国として作るチャンス。 世界的、人類史的宣言を出す必要がある。

 日本が残した課題。 歴史は、地続きだ。 270年戦争をしなかった国が、明治に10年おきに戦争をして、昭和20年に軍事的に解体した。 極端から極端へ。 その末期には、日本は近現代の戦争のルールを無視して戦った。 上原良司(1922-45)、慶應から学徒出陣した22歳の青年、昭和20年4月特攻隊で往きのガソリンだけを積んで出撃、アメリカの航空母艦へ突っ込んで死んだ。 前日書いた遺書、「私は自由主義者です。本来、人間は自由に生きるのが最もふさわしい動物だと思う。日本やドイツの状態は、喜ばしいことではない。しかし私は明日、特攻隊員として死んでいきます。」 こういう遺書は、学徒兵の中にいっぱい残っている。 日本だけで、アメリカは(捕虜になるかなど)兵隊の意思を確認する。

 何か一つ一つが崩れていた。 過去と、歴史と、対話をする、それが教訓とすることだ。 近代史の中で学んで、現代史に伝えていかなければならない。 貴重な教訓が、いくつかある。 日本がアメリカと戦って勝つわけがない。 しかし、ドイツがイギリスに勝つと、アメリカに厭戦気分が起きるだろう。 ドイツが勝つだろうという主観的願望を、客観的事実にすり替えて、戦争を始めてしまった。 日本の指導者の中には、こういうのが、今もある。

 国民への戦争協力の説明がなかった。 大衆は愚昧、無知だから、強い姿勢で動けば、ついてくるという考え。 大衆は、天皇の臣民という立場だった。 臣民には、いろいろな網がかかっていた。 戦後、その網が取れて、青天井になった。 民主主義の市民的権利を自覚するかどうかが大事。 自分たち市民と、国家は、フィフティフィフティ。 納得できなければ、いろいろな手がある。 国家に依存していれば、臣民と変わらない。 それが後進性と結びつくと怖い。 ファシズム、議会政治の否定へいく。 その愚を繰り返さないことを、歴史の中から学ぶ必要がある。 民度、国民性が問われている。 民主主義は、戦後民主主義、アメリカン民主主義から、戦後とアメリカンを取らねばならない。 戦後民主主義から、普遍的民主主義に変えていくのが、歴史の問題だ。 このことは、もっと議論しなければならない。

 日本は、戦争体験を伝えていくことに失敗した。 戦争、こんなことがあっちゃいけない。 歴史を語り継ぐことは闘いだ。 文化や伝統がふくらみを持って、伝わっていくのではないか。 バトンタッチである。

 保阪正康さんは、父から教わった言葉だとして、「前事不忘 後事之師」と記帳した。