池澤夏樹さんの『また会う日まで』のM2023/04/15 07:06

今年2023年、九品仏浄真寺の桜
 池澤夏樹さんが2020年8月1日から2022年1月31日まで朝日新聞に連載した小説『また会う日まで』が単行本になった。 連載をずっと読んでいた私は、この日記にいろいろと書いてきたので、今日の末尾に一覧表を付ける。

ここで書きたいのは、読んでいる途中で、Mというのはいったい誰のことか、調べたいと思っていた人物のことだ。 Mは、主人公秋吉利雄と同期の兵学校四十二期、加来止男と三人、いつも築地の居酒屋で会って話をしている。 優れた士官だったが、艦上勤務の際の事故で障害が残り海を離れ、戦史の研究をする大臣官房の海軍文庫に移った。 事故は兵器管理の不徹底によるもので、Mに過誤がなかったため、我が儘が言え、大尉で資格がなかったのに、まず海軍省出仕とし、更に海軍大臣訓令によって大臣官房大臣承命服務という形式を経て席を得たという設定だった。 このMが戦争末期、職掌柄もあり、追い込まれて行く戦況に滅法詳しいのだ。 そればかりか、日本を取り巻く国際情勢にも精通している。 公表されていなかったミッドウエー海戦での惨敗も、その一つだ。 最後まで残って戦った空母「飛龍」は、遂に航行不能になり、自軍の魚雷で沈められた。 その艦長は、居酒屋三人組の一人、加来止男だった。 二人は鎌倉の家まで、弔問に行った。

 昭和二十一年春、秋吉利雄の住む九品仏浄真寺の桜が咲き、Mから葉書で築地の居酒屋が再開したので会おうと言って来た。 二人は会い、秋吉は水路部が岡山県笠岡の第二分室へ疎開した時、Mから預かっていた革鞄を返した。 鞄にはMが歴史を書くために残していたメモが入っていた。

 秋吉は歴史家のMに、なぜ敗戦という事態になったのかを、質問する。 Mは「この十五年の経緯を考えれば、敗戦に至った最大の理由は国家として統制が取れなくなったことだ。国政に関わる司々(つかさつかさ)がそれぞれ勝手な方へ動いた。なかんずく陸軍と海軍」 「負けた理由の前には開戦に至った経緯がある。陸軍は支那の平定しか考えていなかった。しかし支那は広い。人も多い。いくら兵力を投入しても平原に吸い込まれてしまう。『どこまでつづく泥濘(ぬかるみ)ぞ』だ」 「一方、海軍の方は海戦で一気に勝敗を決めようとする。そのためひたすら艦を造り訓練を重ねる。国民注視のポーカーの卓だ。敵はアメリカ」 「立憲君主制に則(のっと)って陛下は国政に介入されない。御聖断は二・二六と終戦と、この二回だけだった」 「我らの敬愛する井上成美さんがこう言っておられた――国力・国情を比較するに、米国が我が国を海上封鎖するのは不可能ではない。その場合、我が国は物資窮乏に陥るだろう。/しかるにこちらが米国を封鎖することは可能か? こういう考えをするところが井上さんらしいのだが、考察の結果はもちろんノー。」「そもそも米国は物資が万事豊かだ自国内の生産で需要をすべて賄って残りを輸出できるほどなのだから封鎖そのものが無意味。これを井上さんは開戦の十一か月前に言っておられた」

 「1940年5月の図上演習の結果は――
○ 日本の持久力は一年半、甘く見ても二年 ○ 然るに短期決勝の望みは少なく、持久戦となる恐れが大きい ○ 開戦後、戦争の経過に伴って彼我の兵力の比は漸次悪化して、開戦一年後には十対五になっている ○ 南方からの資源輸送は困難になる というものだった」

池澤夏樹さんの小説「また会う日まで」<小人閑居日記 2020.12.1.>
海軍兵学校の普通学、三角法の最初の授業で<小人閑居日記 2020.12.2.>
鈴木貫太郎中将、1918(大正7)年のスピーチ<小人閑居日記 2020.12.3.>
日露開戦前夜、海防艦「春日」をイタリアから回航<小人閑居日記 2020.12.4.>
天皇陛下、1937(昭和12)年水路部でお言葉<小人閑居日記 2020.12.5.>
秋吉利雄の親戚関係<小人閑居日記 2020.12.6.>
熱心な信徒、妹・トヨが未婚のまま懐妊<小人閑居日記 2020.12.7.>
三四郎池で福永末次郎に無理難題を<小人閑居日記 2020.12.8.>
ダンシタンジヤウ」タケヒコトメイメイ<小人閑居日記 2020.12.9.>
池澤夏樹・池澤春菜著『ぜんぶ本の話』<小人閑居日記 2021.1.27.>
ヴォーリズ夫人満喜子の女子修養会と、広岡浅子の夏季勉強会<小人閑居日記 2021.5.31.>
「また会う日まで」その後のあらすじ<小人閑居日記 2021.6.3.>
身近な地名、芝白金三光町、戸越、九品仏<小人閑居日記 2021.6.4.>
小説の中で、作者池澤夏樹さんが誕生<小人閑居日記 2021.11.4.>
「大東亜中央病院」の日野原重明先生<小人閑居日記 2021.11.5.>
東京大空襲の朝、聖路加病院の日野原先生<小人閑居日記 2021.11.6.>
聖路加病院は「米国より日本への賜物」ビラ<小人閑居日記 2021.11.7.>