Mが書こうとした歴史を喜ばない者がいた2023/04/16 07:31

 秋吉利雄には戦後、船舶の安全航行を確保するために、海軍とは独立した水路部の長にする話もあったが、GHQのGS(民政局)が旧軍人の社会復帰を一切認めなかった。 秋吉は、暮らしの金のため蔵書を売ることにして、成城学園に住むMから、近くのキヌタ文庫という古本屋を紹介してもらって、処分した。 数日後、キヌタ文庫の主から、速達の葉書が来て、Mの家が焼け、Mが死んだ、という。 Mは一人住まいで、たくさんの蔵書と戦争についての資料、秋吉が一時預かっていた例の革鞄も、すべて焼け、すべて消えた。 警察で聞くと、他殺、頭を銃で撃たれて即死、口径八ミリ、十四年式、陸軍の制式拳銃、火事はガソリンによる放火だった。 Mに歴史を書かせたくなかった者がいる、ということだ。

 Mは、史料・資料を精読して事実を抽出し、その意味するところを探り出し、関わった人々の意思のぜんたいを精錬して、時代の一連の流れとして綴ろうとしていた。 ヒストリアンとしての責務に沿って、書籍と文書を手元に揃えてきた。 大日本帝国が、日本というわたしたちの国が、どう歩んできたのか、どこで足を踏み間違えて谷底に転がり落ちたのか、その時の指導者・責任者は誰だったのか。 この先、百年あるいは五百年・千年を思って、列島で暮らす人々、この国土で育つ子供たちのために、未来の礎として用意する。

 だがそれを喜ばない者がいた。 終戦の後の今もその勢力が残存している。 開戦、見込みのない戦いの継続、更に敗戦。 そこに至った責任を闇の中に封じておこうと考えた誰かが動いた。

 しかし、そのために人を殺すのか? Mの数千冊の蔵書を焼くのか? これは焚書であり、死んだのがたった一人でも坑儒である。

(焚書坑儒…前213年、秦の始皇帝が民間に蔵する医薬・卜筮(ぼくぜい)・農業などの実用書以外の書をすべて集めて焼き捨て、数百人の儒者を捕らえて、翌年咸陽で坑(あな)に埋めて殺したこと。)