Mの正体は、半藤一利、保阪正康、加藤陽子2023/04/17 07:00

 15日に書いたように、私は新聞連載を読んでいて、Mというのはいったい誰のことなのか、調べたいと思った。 昭和21年春の新聞を探せば、火事の一件が報道されているかもしれない、放火殺人事件ということが表立っていれば、なおさらだろう、と思ったのである。

 連載が終って一週間、2022年2月6日の朝日新聞朝刊に、池澤夏樹さんの「また会う日まで」連載を終えて、という一文が出た。 見出しは、「史実に沿いつつ 今の目であの戦争を見た」。

 「「また会う日まで」はぼくにとって「静かな大地」、「ワカタケル」に次ぐ三つ目の歴史小説である。/歴史小説ははじめから矛盾している。「歴史」としてなるべく史実に沿いながら「小説」としては精一杯の逸脱を図る。/この作の場合、史実は秋吉利雄の親族から預かった資料、近代史に関する多くの書籍、インターネットに置かれた情報だった。」

 「これらをもとに主人公の人生を再構築する。彼はまず聖公会に属するキリスト教徒であり、海軍軍人であり、更に航海術に業績を残した天文学者だった。この三つがいかに一つの人格の中に共存したか。」

 「小説ゆえに許される逸脱の最たるものはMという人物である。海軍兵学校四十二期に秋吉利雄と加来止男はいるがMは実在しない。ぼくはあの戦争を今の視点から、つまり半藤一利と加藤陽子の目で見直したかった。それを体現したのがMで、だから気の毒だが彼には死んでもらわなければならなかった。早すぎたのだ。」

 『また会う日まで』が単行本になったことを伝えた3月24日の朝日新聞朝刊の記事で、池澤夏樹さんは、野波健祐記者に、こう語っている。

 「現在というのは大きな壁画なんです。でも僕たちはそれを30センチの距離からしか見ていない。全体像を見るためには少なくとも5歩か10歩か下がらなければ見えない。その距離が時間であり、何歩か下がらないと 歴史は見えてこない」

 「戦争中の熱狂のなかでも状況を冷静に見ていた人はいたはず。それがM。彼の戦争観は後に半藤一利、保阪正康、加藤陽子らが書いたものと一致している。あの戦争について本当の反省が出てくるまでには20~30年かかったわけです。Mの歴史は残されなかった。だから死んでもらうしかなかった。ノンフィクションとは異なる小説ならではの便法です」