小林昌樹著『調べる技術 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』2023/04/18 06:58

 若い時から「調べる技術」に興味があった。

「知識には二種類ある。自分で何かを知っているか。知りたいものについて何を調べたらいいかを知っているか。」――サミュエル・ジョンソン

 学生時代に読んだ図書館学の藤川正信さんの、『第二の知識の本』(新潮社ポケット・ライブラリ)という題の本の扉に記されていた、この言葉を忘れることができない。 以来、自分で何かを知っているほうの努力は、もっぱら省力化して、どこを調べたら情報が出て来るかだけ、おぼえておくことにした。 これは気が楽だ。 その後、アメリカの学校図書館を視察してきた人が「『学力をつける』ことは知識をつめ込むことではない。文字通り『学ぶ力をつける』こと、自学能力を高めること」と考えて教育しているアメリカでは「図書館の使い方がほんとうに子供たちの身についている」と書いていたのに、わが意を得た。

 それで、レファレンス・ブックに関心を持ち、徳島県立図書館司書で、『わがモラエス伝』(河出書房新社・1966年10月)を書かれた佃實夫さんの『文献探索学入門』(思想の科学社・1969年7月)などという本も持っていた。

 近年、「調べる」ことは、もっぱらインターネットの検索に頼っていて、レファレンス・ブックなどは「古い」ものになったのかと思っていた。 ところがどっこい、小林昌樹著『調べる技術 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』(皓星社)が「売れてる本」だという(2月18日朝日新聞読書欄)。

このコラムを書いたのは、「調べた情報」をテレビ番組などに提供するリサーチャーの喜多あおいさんだ。 「調べ物においてキチンと答えを出す」には「情報源」を制するのが近道。 「検索語」だけに頼っていては雑多な情報の中で迷子になるばかりである、という。 リサーチャーは「情報源」が生命線なので、仕事柄、司書のレファレンス(調べ物相談)に助けられた経験は多い。 特に著名人の家族史をたどる番組(おそらくNHKの「ファミリーヒストリー」)の取材では、秋田・京都……多くの地域図書館で、調査に活路を見いだしてもらった。 「アタリをつける」勘どころがすごい。 それが筆者・小林昌樹さんのような膨大な資料と対峙する国会図書館司書であれば、そのテクニックの集積も更にすさまじかろう。 この本にはそんな秘伝・奥義が、巻末の「索引」にズラリと並んでいる。 例えば、「ドキュバース(文章宇宙)」、「アイドル研究」、オリジナル技法の「わらしべ長者法」、「全米が泣いた」、「なぜこの本で?」。 この本で、多彩な「参照すべき情報源」と邂逅(かいこう)できる。 多数の固有名詞の採録は、実用書のみならず、「調べもの史」の読み物としてもとても面白かった、という。

絵本が生まれるとき<等々力短信 第1166号 2023(令和5).4.25.>2023/04/18 07:01

   絵本が生まれるとき<等々力短信 第1166号 2023(令和5).4.25.>

 4月15日、千葉県一の貯水面積を誇る高滝湖に面した、自然豊かな立地の市原湖畔美術館の「末盛千枝子と舟越家の人々」展(6月25日まで)のオープニング&トーク「舟越家の芸術」にお招き頂き、見せてもらった。 東京駅周辺発着のバスツアーも手配されていて、雨のせいもあってか渋滞もなく、往復とも1時間ほどの行程だった。

 末盛千枝子さんの短信初登場は、昭和61(1986)年12月、411号「ある絵本の話」、412号「電話番号」、413号「どうにか様」。 なぜ末盛ブックスの絵本が生まれたか、ゴフスタイン作・絵『画家』、妹カンナさん文『あさ』、津尾美智子さん絵『パパにはともだちがたくさんいた』、彫刻家の父舟越保武さん、そして千枝子さんの意気消沈するような状況にあっても、けして明るさや希望を失わない強さを、既に書いていた。

 展覧会は、末盛さんの手がけた63冊の本、津尾さん、井沢洋二さん、はらだたけひでさんの美しい繊細な原画、保武さん、弟桂さん、直木さんの彫刻やデッサン、母道子さん、妹苗子さん、茉莉さん、カンナさんの絵、末盛憲彦ディレクター「夢であいましょう」関係資料、千枝子さんのウェディングドレスの写真まで、見ることができる。

 トークの初め、この展覧会に深く関わった次男の春彦さん(素敵に成長していた)が、「ひとつひとつ こつこつ 丁寧に」、桂叔父の『言葉の降る森』にある「始めれば、そしてそれをつづけていれば、いつかは完成する。いつかはたどり着く。」を心がけ、宝探しをした。 その過程で、叔父や叔母、母と、たびたび連絡を取って会い、家族の話をするのが楽しく、それは絵本のような時間だった、と話した。 千枝子さんは、姉弟妹だけではまとまらない、春彦の働きに感謝、末盛憲彦のDNAだろうと。

 館長の北川フラムさんは、舟越保武先生、桂さん、直木さん、それぞれ、みんなすごい、並じゃない。 保武先生は、敗戦で日本全体が共有の意味を持てた時、一般の人たちが共有できるものがあった時代の、最後の花ともいうべき、最高の作品を作った。 ≪長崎二十六殉教者記念像≫(1962年)、秀吉の最後の頃の殉教、何でこんな過酷な目に遭って、そこから希望があるのだろうか、一人一人を勉強して思いを込めた。 ≪ダミアン神父≫像は、全部の経験、技術を射し込んだパブリックアートの最高傑作だ。

 大学時代が≪長崎二十六殉教者記念像≫制作の時期だった千枝子さんは、運び出す日が雨で、運送屋さんが「涙雨ですね」と言った。 その後、父が着物の無地の生地に絵を描き始めた、母が除幕式に着るためのものだった。 母が嘱望されていた自由律俳句を止めるように言って結婚し、彫刻だけで七人の子を育てる、大変な暮らしだったけれど、いい夫婦だった。 それを有難いと思っていた、と語った。