柳亭市馬の「三十石」前半 ― 2023/05/01 07:06
昔から、旅は憂いもの、辛いもの、という。 今とは便が違う、大概の人は自分の二本の足で歩いた。 水盃を交わし、今生の別れになるかもしれない。 <高輪へ来て忘れたることばかり>、ウチの金坊が心配で、夜、布団の中で泣くんじゃないか、と。 大丈夫だ、俺が抱いて寝てやるよ。 カカアのお光も心配だ。 お光さん、たまには、俺が抱いて寝てやるよ。 これが一番、心配だ。
噺家に旅はつきもの。 前座の頃、40何年前、北海道を10か所くらい、師匠の小さん、小三治、小きん、それに漫才の桂子好江、曲芸の染之助・染太郎で回った。 「おめでとうございます」と言う方が兄の染太郎、芸が弟の染之助。 明日は東京、定山渓温泉でワッと陽気にてんで、芸者をあげたが海千山千、八十年という大年増、そこへ東京から電話、お帳場へ行くと、協会の事務員からで彦六師匠が亡くなったという。 ドンチャンやってるところへ、正蔵さんが亡くなったそうで…、と伝える。 86、お年に不足はない、10秒経ったら、供養のためてんで、小三治は裸になって踊った。 現実とは離れられるのが旅だ。
二人が伏見街道を行く。 兄イ、もう歩くのはいやだ、休もうよ。 辛抱しな。 ここは伏見、大坂へ行けばいい女がいる。 寺田屋の浜から三十石の船が出る、寝ている間に大坂の八軒家に着く。 あんさん、下らんか、どうぞウチでお休みを。 二階の大広間には、いっぱいの人。 旅日記や帳面をつけたり、伏見人形の包みをほどいて、火箸で牛の角を落とし、復元しようとしたりしている。
帳面と矢立で、お所、お名前を書きます、お役人にお見せしますので、てんごう(いたずら)冗談はなさいませんように、先日も弁天小僧に、鼠小僧と。 そっちゃの兄さん。 わいは大坂、今橋二丁目鴻池善右衛門。 お手代で? 主だ。 鴻池の大旦那さんはよく存じておりますが、その顔とは違う背の高いご立派な方で。 旅で、ちぢんだ…。 わいも大坂、すみともや。 えっ。 炭屋の友吉だ。 なるほど、顔色が黒い。 お二人さん、江戸の方で。 江戸浅草花川戸、幡隨院長兵衛。 貧相な長兵衛さんで。 わしは助六。 なぶらんといて下さい。 わらわは、照手姫。 お姫様という顔じゃないね。 みずからは、小野の小町。 塩辛みたいな顔してて。 ご出家は? 愚僧は、播磨国書写山圓教寺、武蔵坊弁慶。 丁寧に言おう、オフサカヨリサンリミナミヘアタル、センシュウサカイ、ダイドウフケンノチョウ、ホウチョウガキクイチモンジ、ホンケコンポン。 ナゴヤホンチョウ、デミセカイテンニツキ、百名の方に粗品を進呈。 出店のチラシの下書きでっか、てんごうせんと、真っ黒になってしもうた。 名前だけで願います。 並河益義。 美濃部孝蔵。 山崎松尾。 岡本義(よし)。 小林盛夫。 松岡克由。 郡山剛蔵。(←桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭円生、林家正蔵彦六、柳家小さん、立川談志、柳家小三治の本名) こちらさんは、お一人で。 去年の十月に、おばんが死んで、皆弔いに来てくれた。
ご飯と御御御付けが出るが、熱々で、かっこめるような温度じゃない。 船が出るぞーーッ。 さぁーー、出すぞーーッ。 船頭と宿屋が連絡している。 みんな手をつけずに、船着き場に急ぐ。 ご飯を食べられない策略。 ご飯を食べ御御御付け飲んで、はばかりに行き、ゆっくり行っても、十分間に合う。
広島の塩船の船頭、ひどい口のききようだが、竹を割ったような気性だ。 船の中で、お土産(みや)どうどす、と売りに来る。 アンポンタンはどうどす。 可愛らしい顔して、アンポンタンとは何だ。 かき餅ふくらまして砂糖をかけた「東山」のことで。 おチリ(紙)は、どうどす。 おチリで、お尻を拭くのか。 西洞院紙(にしのとういんがみ)、京は王城の地ですさかい。 東の浅草紙か。 どうぞ、お静かに、お下りやす。
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