明治日本の政治課題に取り組む福沢と小幡の共同作業2023/05/30 06:58

 もう少し、川崎勝さん、西澤直子さん、大久保健晴さんの三人閑談「小幡篤次郎を読む」を読んでみたい。

 川崎勝さん「問題の一つは『学問のすゝめ』の初編は小幡・福沢共著だということ。それは中津市学校として、中津に向けて出すには、福沢より小幡のほうが顔が利くからと言われています。ただ、私にはそれだけではないように思われます。共著の意味をもう少し重要視したいと思っています。」

 「後に、「時事新報」が発刊されると、「不偏不党」をモットーにします。しかし、あれは単に政府に対する隠れみのであり、全て、福沢と小幡が立案して読んでやるのだと明言している。全て福沢と小幡が「検閲」しているわけです。福沢の党派性の表れる言論機関と私は位置付けています。つまり、「時事新報」に掲載されたものは福沢・小幡の考えで、その議論の中から一つの方向へ導いていくスタイルを取っていた。これは『学問のすゝめ』以来、一貫して小幡と福沢が共同してやってきたことではないか。だから、福沢の陰で小幡が支えたのでもなく、言ってみれば二人の共同作業ということが前提にあるのではないか。」

 「『西洋事情』以降ずっと福沢が絶えず出してくる問題を、しっかりと原典から、根拠を示しながら伝えていこうとしたのが小幡だったのではないか。だから、合体して一つの作品をつくり上げた関係と言えるのではないでしょうか。」

 大久保健晴さん「小幡の著作活動の注目すべき点はジョン・スチュワート・ミルとトクヴィルという、福沢が文明論や地方分権をめぐる政治論を展開する上で、非常に重要な思想的源泉となる著作の翻訳を行っていることです。『上木(じょうぼく)自由之論』は、フランスの思想家トクヴィルが著した『アメリカのデモクラシー』の中の出版の自由に関する議論を、小幡が明治六年に英訳版から重訳した翻訳書です。トクヴィル受容の点でも、また出版自由を論じた点でも、非常に早い時期に公刊された貴重な作品です。」

「小幡はその後、明治九(1876)年になると同じくトクヴィル著『アメリカのデモクラシー』の英訳版から、「義気」(public spirit)や、「政権」(government)と「治権」(administration)の区分ならびに集権と分権について論じた箇所などを訳出し、『家庭叢談』誌上に発表しています。これらの翻訳は、同じ頃に執筆された福沢の『分権論』(明治十年)の中で紹介されており、福沢は小幡によるこれらの翻訳から影響を受けていたと推測されます。」

「よく知られるように福沢の『分権論』は、不平士族の反乱が問題化する同時代の政治状況について正面から論じた作品です。そのなかで福沢は小幡によるトクヴィルの翻訳を引用しながら、人々が「政権」ではなく、それとは「源を異」にする「治権」、すなわち「公共の事」に与る「地方分権」を確立し、「自治の精神」に根差した「愛国心」を養うことの重要性を唱えています。」

 「英文と比較すると、小幡の翻訳意図が浮かび上がってきているように思える箇所にいくつも出会います。(その一例)愛国心を自然的なものと合理的(rational)な性格を持つものとに区分するトクヴィルの議論が翻訳されています。特に後者の合理的な愛国心は、福沢の『分権論』の中で、「道理」に適う「推考の愛国心」として紹介されます。ここでトクヴィルは、loyaltyを、前者の自然的な愛着に基づく、一種の宗教とも言える愛国心の一形態として説明しています。興味深いのは、小幡がこのloyaltyに「尊王」という訳語をあてていることです。それにより読者は、小幡の訳文を通じて、「尊王」思想のような愛国心は自然的な愛着による一時的なものであり、これからの世の中はそれとは異なる、政治や行政への参加に基づく合理的な愛国心が求められている、と理解するのです。ここからは、小幡にとって翻訳は単に学問的な営みであるだけでなく、実は一つの政治的行為でもあったことがうかがえます。」

「福沢は『分権論』の序文で、「この書一篇は、我社友、随時会席の茶話を記したるもの」と述べています。小幡や福沢は「会席」を通じて、自らの学問的成果を披露しつつ、現今の政治について語り合ったのでしょう。学問と政治との間を往還しながら討論を繰り返す、当時の慶應義塾の姿が目に浮かぶようです。こうして彼らはトクヴィルなど西洋の思想家の著作に触れ、そこから知的触発を得て、眼前に広がる明治日本の政治課題に取り組んだのです。」