「ショウ・ワイセン」、洗濯屋、銭湯、釣り堀2023/06/08 07:06

 「東京 池上線の旅」、旗の台。 銭湯「荏の花温泉」が、子供に人気の「旗の台つりぼり店」になっていた。 元銭湯のオーナー田村徳治郎さんは、池上本門寺掃除の細野さんの一つ上、82歳と言ったから、私と同い年だ。 わが家は男三人の兄弟で、五つ上の兄と七つ下の弟は旗の台の立正幼稚園に通ったが、私だけは戦争直後の時期で幼稚園がなかった。 2019年に家内は、旗の台の昭和大学病院で二つの手術を受け、どちらも大成功で元気になった。 かかりつけのクリニック、内科と歯科のご夫妻も、ここのご出身である。 その昭和大学、私の子供の頃は「ショウ・ワイセン」と呼んでいた。 昭和医専、と書くのだと判ったのは、大きくなってからだった。

 銭湯のオーナーの話に戻る。 池上線が竹林が多かった旗の台まで開通した翌年の昭和3(1928)年5月15日、上條秀介が、この地に昭和医学専門学校を創立、附属医院を開設した。 病院には洗濯物の需要があり、周りには何もないために、銭湯オーナーの父親がクリーニング店を開業した。 自動車の写真を見ると、三共のクリーニングという名だったようだ。 繁盛していたが、戦争で病院周辺は強制疎開で建物が壊され、一家は群馬に疎開した。 戦後、戻って廃業していた銭湯を借り受け、そこをクリーニング工場にした。 主力となった進駐軍の絨毯クリーニングの仕事に、銭湯の洗い場がぴったりだった。 別にクリーニング店の建物を建て、二足の草鞋で銭湯も開業して50年近く営業、銭湯に来る人が減り、平成3(1991)年に閉めた。 5年前、そのままになっていた銭湯を釣り堀にしたいという話が舞い込んだ。 男湯は、子供向けの釣り堀、女湯は、大人が大きな鯉を狙う釣り堀になって、風呂屋の時代と同じように、子供たちの明るく楽しい声が響くのであった。