丹後地方の日本海三大古墳 ― 2023/07/21 07:04
「丹後水中考古学プロジェクト」が確認した「係船遺構」と、おそらく関連しているのだろうと思われるが、丹後地方の陸上には、日本海三大古墳がある。 網野銚子山古墳201m(198mとも)4世紀後半(京丹後市網野町)。 蛭子山古墳(1号墳)145m 4世紀中葉(与謝郡与謝野町加悦明石)。 神明山古墳190m 4世紀末-5世紀初頭(京丹後市丹後町宮)。
網野銚子山古墳は、京丹後鉄道の網野駅の北東側の丘陵にあり、上から日本海が望める。 海岸線が周辺まで入り込んでいたと考えられる。 神明山古墳は、沿岸部の入り江にあり、周辺で海上交易が営まれていたのだろう。 蛭子山古墳は、丹後半島の付け根にあたり、やはり海から近い。
この地方には4世紀中葉から5世紀初頭にかけ、日本海ルートで、いち早く大陸から文化がもたらされた。 潟湖(ラグーン)を港として利用して、中国や朝鮮半島との交易を行う豪族がおり、三基の巨大古墳に埋葬されているのは、ヤマト政権と強いつながりを持った丹後の豪族だと考えられている。 古墳の形が、奈良県の古墳と同じだという研究がある。 巨大な前方後円墳で、古墳時代の前期後半から中期初頭のものだ。 円筒埴輪は、頂部が丸く、中央に直径10センチほどの穴があり、「丹後型円筒埴輪」と呼ばれている。
京都府内の古墳は約1万3千基あるが、その内丹後地方には6千基の古墳がある。 なぜヤマト政権から、遠く離れたこの地方に沢山の古墳があるのか。 当時の丹後地方には一大勢力があり、彼らがそれを内外に誇示するために古墳を築いたという説が有力だそうだ。
神明山古墳の近くにある大田南5号古墳の石棺から出土した銅鏡には、西暦235年(魏の青龍3年の年号)が刻まれており、現在年号が刻まれている鏡としては最古のものだという。 他にも産土山(うぶすなやま)古墳(国指定史跡)、大成古墳群(6世紀末から7世紀初めにかけての13基の横穴式石室墳)、片山古墳(共に京丹後市指定史跡)などがある。
古代史研究の故門脇禎二京都府立大学名誉教授は、古代の日本にはいくつかの地域国家があったと考え、丹後に渡来人による「丹後王国」があったと主張した(昭和61(1986)年『日本海域の古代史』)。 この地方に重要な遺跡が分布しているのは、ガラス細工や製鉄など高度な技術を持つ渡来人集団が丹後地方にたどり着き、勢力を拡大していったと推測している。
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