落葉を堆肥に利用の農法、世界農業遺産に ― 2023/07/11 06:55
6日夕方のNHKのニュースで、埼玉県三芳町・川越市などの落葉を堆肥に利用の農法が、世界農業遺産に認定されたというのを見た。 慶應志木高校の農芸の時間で、堆肥を作り、握って撒いた経験があった。 その臭いも、温度も、感触も、忘れがたいものである。
このあたり武蔵野地域には、国木田独歩の『武蔵野』にも描かれた雑木林が広がっている。 江戸時代から栄養分の少ない地に木を植え、その落葉を堆肥として利用し、生産性を向上させてきた。 「世界農業遺産」は、伝統的な農業などに取り組む地域をFAO国連食糧農業機関が認定するものだそうだ。 農林水産省などによると、都市近郊でこうした循環型の伝統的な農法が継承され、地域の景観や動植物の生育環境を維持してきたことを評価された。 これで日本で世界農業遺産に認定された地域は15か所となったが、関東地方では初めてだという。
三芳町でサツマイモなどを栽培しているという農家の人が喜びを語っていたが、川越市はサツマイモで有名だ。 「九里よりうまい十三里」という宣伝文句がある。 江戸から川越まで十三里(51km)、栗より美味いも、かかっている。 慶應志木高のサツマイモ畑には、幼稚舎や女子高の生徒が「芋ほり」に来ていた。
三田で支離滅裂の話「ひとり新聞の楽しみ」をする ― 2023/07/12 07:00
福沢諭吉協会の小室正紀さん(慶應義塾大学名誉教授)にお誘いいただいて、9日三田キャンパスの北館の会議室で開かれた「学問の大衆化推進会議第4回公開シンポジウム」で「ひとり新聞の楽しみ」という話をさせてもらった。 持ち時間は20分に、質疑応答5分。 書くのは何とかなるのだが、話の拙いのが露呈して、ボケか認知症の疑いさえ感じるような支離滅裂の話になってしまった。 「等々力短信」のバックナンバーを15回分セットして配布させてもらったので、それでカバーしてもらうしかなかった。 自分のやっていることをずっと「個人通信」と言ってきたが、小室正紀さんと相談して、分かりやすい「ひとり新聞」を選んでもらったのだった。 それに関連して、「学問の大衆化推進会議」の上から目線が気になったので、「みんなで学ぼうのすゝめ」はどうだろうなどと、言おうかなどと思ってはいたのだが…。
自己紹介を、先日20歳の誕生日を祝われていた、立ち姿で一世を風靡した千葉市動物公園のレッサーパンダの「風太」から始めた。 人間なら80歳、白内障で片目、歯槽膿漏、毛も抜けて、ヨタヨタ歩いていた。 私も80歳を過ぎてヨタヨタ、と言おうとしたら、橋本壽之さん(NPO法人マイスターネット理事長・リーダーシップ研究アカデミー主席研究員)が1歳上で、「『先の見えない人生』とウェルビーイング」という話を、滔々となさった。 それで、<末枯(うらがれ)や何かと傘寿鼻にかけ>という俳句をつくった話をしようと思っていたのが、出来なくなってしまった。
気を取り直して「八紘一宇」をご存知ですか? と、質問してみると、六割ぐらいの人が手を挙げた。 昭和16(1941)年生れ、馬場紘二の「紘」は「八紘一宇」の「紘」だ。 「八紘一宇」、「八紘」はあめのした、「宇」は屋根、世界を一つの家とする。 先の大戦時、大東亜共栄圏の標語である。 4歳の時、品川の中延で空襲を体験した。 高橋誠一郎文部大臣の六三制、戦後教育の2年目に小学校入学 ローマ字は習ったが、カタカナは教わらなかった。
明治学院中学から、慶應義塾農業高校が普通高校に転換した志木高校の一期生。 新聞部で新聞をつくったのが、「ひとり新聞」「等々力短信」のそもそも。 昭和35(1960)年、大学の経済学部に進学、60年安保、早慶6連戦の年。 小尾恵一郎ゼミでいわゆる計量経済学(鳥居泰彦さん助手)。 昭和39(1964)年、東京オリンピック、東海道新幹線開通の年に卒業。 第一銀行で、渋沢栄一の丁稚を4年ほどやって落第、父と兄がやっていた零細なガラス工場に入って、金融危機で2000(平成12)年末に畳むまでやった。 以後、窮々自適の閑居生活をしている。
創刊の動機、手紙の楽しさを復活させよう ― 2023/07/13 07:02
用意したレジュメには、その後、こういう予定をしていた。
「等々力短信」の歴史
創刊の動機 手紙の楽しさを復活させよう
福沢流コミュニケーションの実験 福沢はsocietyを「人間(じんかん)交際」
インターネットのブログ「轟亭の小人閑居日記 馬場紘二」
「ひとり新聞」の内容 落語、福沢、俳句
書くテーマに困らないか? 「好奇心の泉源、ヤジ馬の見本」
書き手は三流だけれど、読者は一流
一つの趣味のモデルを示すことができたか?
「等々力短信」は、2023(令和5)年6月25日、1,168号発行で、創刊から48年、あと2年で50年になる。 現在、郵送77名、メール120名。 以前、『三田評論』のコラム「書」に「出した手紙が5万通」を書いた。 友達は、「時事新報」→ジジイ新報→「馬場新報」といってくれた。
1975(昭和50)年2月25日(33歳)「広尾短信」創刊第1号。 ハガキ版(原紙を和文タイプで打った謄写版印刷)月3回「五の日」(広尾の縁日の日)5日15日25日に発行、40部。
創刊の動機。 夏目漱石や福沢諭吉の手紙の面白さを知って、なんとか手紙の楽しさを復活できないか、こちらが出せば、少しは返事もくるだろう、と思ったのであった。 情報を一方的に受け手として読むだけでなく、素人なりに発信することも大切ではないか、とも考えていた。
当時、『知的生産の技術』の梅棹忠夫さん、『整理学』の加藤秀俊さんなど京都大学の先生(慶應よりも)の考え方に大きく影響を受け、平明達意の文章を心がけてもいた。
以下は「広尾短信1 1975.2.25.」の後半部分。(創刊号が見たいという質問があった。)
漱石、諭吉を引合いに出すまでもなく、昔の人は実によく手紙を書いた。 今来るのはDMばかり、ハガキでどれだけのコミュニケーションができるのか実験のつもり。
日頃ものを考える訓練の必要を感じる。 書くことがその有力な手段で、読書見聞の記録も書きとめておけば歩留りのよいことはわかっている。 字数の制約の中で何かを正しく伝えようとすれば、簡潔な文章の練習にもなる。 ご迷惑でも、いつまで続くか楽しみに一分間のおつきあいを願います。
福沢流コミュニケーションの実験。 福沢諭吉はsocietyを初め「人間(じんかん)交際」と訳した。 それならソーシャルディスタンスは人間距離ではないか。 「人間(じんかん)交際」、活発なコミュニケーションのある社会、独立自由な個人によって形成される成熟した近代社会、出版、演説、討論、パーティ、社交のすすめ。
慶應義塾(若人が集い学び交わり人となる)、明六社(知識人が集い学び交わり人となる)、東京学士会院(学者が集い学び交わり人となる)、交詢社(社会人・実業人が集い学び交わり人となる)
「等々力短信」に加えて、毎日更新の「小人閑居日記」も ― 2023/07/14 07:04
1976年(昭和51)年10月に等々力に引っ越し、10月15日の59号から「等々力短信」とする。 ハガキ版は、1982(昭和57)年9月5日の262号までで、263号からワープロ専用機「文豪」を採用、A4判一枚の手紙スタイルにした。
1991(平成3)年3月から、パソコン通信ASAHIネットに電子フォーラム「等々力短信・サロン」を設けてもらい、「等々力短信」の配信も開始。
窮々自適の閑居生活に入った2001(平成13)年1月25日の899号から月一回25日の発行とした。
2005(平成17)年5月25日の951号からは、インターネットのブログ「轟亭の小人閑居日記」http://kbaba.asablo.jp/blogにも配信開始。 ASAHIネットのパソコン通信当初からの方針により、実名での発信を続けている。 2019(平成31)年5月31日にASAHIネットが電子フォーラムのサービスを休止したので、ブログ一本になった。 2001年11月29日から、ほぼ毎日更新しているので、2023年7月9日現在、8200編を越す勘定になる。
この間、「等々力短信」を4册の私家本にした。 1986(昭和61)年11月5日『五の日の手紙』(岩波ブックセンター信山社製作)刊行、261号(1982.8.25.)~400号収録。 1990(平成2)年12月5日『五の日の手紙2』刊行、401号(1986.8.25.)~540号収録。 1994(平成6)年12月5日『五の日の手紙3』刊行、541号(1990.8.25.)~680号)収録。 2001(平成13)年4月5日『五の日の手紙4』(錦プロデューサーズ㈱製作)刊行、681号(1994.8.25.)~890号(2000.9.25.)収録。
「ひとり新聞」の内容。 三本柱は、「落語」、「福沢」、たまに「俳句」。 ブログのカテゴリーの数で、「落語」1475、「福沢」1571、「俳句」667。
「落語」。 今日、7月9日は、先代の桂文楽が「四万六千日お暑い盛りでございます」と言っていた浅草浅草寺の鬼灯市の日。 三宅坂の国立小劇場のTBS落語研究会に、昭和43年の第1回から通う、6月で第660回。 ブログにマクラから下げまで全部書いている、平成の落語がどんなものだったか、の資料になるかも。
「福沢」。 唯一の発見は「バルトンとバートン」。 明治日本の衛生工学、水道下水道の先生、W・K・バルトンと、福沢を通じてその父親が、親子で日本の近代化に貢献していたことが判明した。 1983年ハーバード大学のクレイグ教授の研究で、福沢の『西洋事情』外編の主体になったチェンバーズの『政治経済学』のチェンバーズというのは出版社であって、著者はジョン・ヒル・バートンというスコットランド人であることが明らかになった。 そのことにふれた私の『五の日の手紙3』(1994年)「『西洋事情』を読む」を、W・K・バルトン研究家の稲場紀久雄大阪経済大学教授がお読みになったことから、W・K・バルトンの父親ジョン・ヒル・バートンと、福沢に影響を与えたジョン・ヒル・バートンが同一人物だということが判明したのだった。
「俳句」。 5W1Hの新聞部出身の影響か。 説明してはいけない俳句は、上達せず。
「ひとり新聞」の楽しみ、晩年に豊かさを ― 2023/07/15 07:04
書くテーマに困らないか? 「好奇心の泉源、ヤジ馬の見本」の旗を立て、その時々の、主な関心事、面白いと思ったこと、心に触れたことを綴ってきた。 長くやっていると、何とかなるという気分がある。 常にアンテナを張っているので、「芋づる式」に関連する情報が飛び込んで来る。 心理学に「カラーバス効果」という概念があるそうだ、特定のことに意識を持ち始めると、それに関する情報が自然に集まるようになる。
日頃、書き手は三流だけれど、読者は一流と、言っている。 いろいろなご縁でつながってきた、友人や先輩、たくさんの読者の方々に可愛がっていただいてきた。 2009年7月に「等々力短信1000号を祝う会」を友人たちが開いてくれた。 生前葬のような、楽しい会になった。 たくさんの方が「継続は力なり」といってくれたので、継続は人が集まってくれる力だと、挨拶した。 服部禮次郎さん、芳賀徹さん、天声人語の辰濃和男さんがスピーチしてくれた。
「馬鹿の一つ覚え」というが、よく言えば「ブレない」で、「等々力短信」1,168号、ブログは8200編を越す勘定。 ずっと「量が質に転化するか?」と言ってきた。 最近、「定年クライシス」ということがいわれるが、若い時からずっと続けていたので、会社を畳んだ後も、すんなりと時間金持を満喫できた。 これだけ蓄積してくると、パソコンの検索機能もあって、「人生のインデックス」になっている。 長く続けているという事の中に、何かわからない力となるものがあって、自分の生活と人生にどれほど豊かなものをもたらしてくれているか、計り知れない。
ビジネスモデルということばがあるが、一つの趣味のモデルを示すことができたか。
「とりあえず生活の心配がなくて、役に立たないことを一生懸命やっているという状態が一番贅沢なんだ」と、南伸坊さんが言っていたことがあるが、今が一番贅沢な状態なので、できれば死ぬまでこのまま、うんうん押していきたいと思っている。
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