特集コーナー展示「野見山暁治」の7点 ― 2024/01/22 07:09
アーティゾン美術館の「マリー・ローランサン―時代をうつす眼」展、さらに特集コーナー展示「野見山暁治」まであった。 年賀状で、田園調布のみぞえ画廊で展示を観てきたと教えてくれた人がいて、行ってみようかと思っていたところだった。 野見山暁治さんのことは、昔から「日曜美術館」でよく見ていて、具象と抽象のあいだを漂う独特の画風といわれる、その絵は正直、わからないけれど、ひととなりや文章に魅力を感じていた。 昨年6月22日に102歳で亡くなる前に、作品を全国の美術館に寄贈していた話も、「日曜美術館」で知った。
展示は、石橋財団所蔵の7点、内3点は近年新たに収蔵したものの初公開だった。 このコーナーだけのパンフレットも、「ひとり一冊」で用意されていた。 「最初は黒の線だけで あぁじゃないと悩む 色が入ってくるのは、黒の線が決まってから」 2023年5月9日というから、亡くなる直前の福岡県糸島のアトリエでの、新収蔵作品についての言葉も引かれている。
1971年に結婚した妻京子との最初の旅行で、野見山はタヒチを訪れた。 《タヒチ》1974年、「タヒチというタイトル、なんでつけたんだろうか 地名をつけるのは稀なんです 何か魔性のものが覗き込んでいるような」
《予感》2006年、「何を予感しているだろう 作品とタイトルは合ってない 何かならないかなと思って描いていたら、なんとなくこうなった でも線を引いてからじゃないと 線から画面にどんな動きが生まれるのか 自分のなかに何かがないと描きすすめられない」
《振り返るな》2019年、「ちょっと重たいボテッとした感じ 軽快な感じがないね」 2020年東京メトロ青山一丁目駅に設置されたステンドグラス壁画制作のために描かれた3点のうちの1点。
《鉱山から》1984年、筑豊の炭鉱地帯で生まれ、父親が炭鉱業を営んでいた野見山、「どす黒いボタ山は私の絵画理念の根底になっている」と語っていた。 《風の便り》1997年、野見山は1976年糸島にアトリエを建て、バルコニーから眺めた海、空、風の様子といった自然を題材に、多くの作品を制作した。 《あしたの場所》2008年、左上部に描かれた有機的な黒い線と、所々にのせられた鮮やかな青が目を引く。 《かけがえのない空》2011年、これまで野見山作品になかった色調の赤が用いられている。 ステンドグラス制作を通して、光を透過して見える赤の色彩に感化された。
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