柳沢吉保の評価、将軍綱吉の評価につながる ― 2024/02/23 06:55
柳沢吉保の評価が二分されるという問題だが、以前、家内の同級生の奥様、川口祥子さんの「柳沢吉保と六義園」という講演を聴いて、いろいろ書いていた。 その川口祥子さんだが、残念ながら2022年11月30日に亡くなられて、『源氏物語』などの古典に関する深い学識にふれることができなくなってしまった。
「柳沢吉保と六義園」のお話を聞く前に<小人閑居日記 2018.10.9.>
和歌浦、和歌三神、そして和歌山の地名の由来<小人閑居日記 2018.10.10.>
「古今伝授」北村季吟→柳沢吉保、「六義園」<小人閑居日記 2018.10.11.>
柳沢吉保と五代将軍綱吉<小人閑居日記 2018.10.12.>
改めて、それらや、そこにリストを挙げている「六義園」について書いたものなどを読むと、柳沢吉保の評価が二分されることは、吉保が仕えた五代将軍徳川綱吉の評価が二分されることにも、つながっていた。
2月12日に発信した、元禄地震 房総沖巨大地震と大津波<等々力短信 第1176号 2024(令和6).2.25.>に書いた、柳沢吉保の出世ぶりについては、柳沢吉保と五代将軍綱吉<小人閑居日記 2018.10.12.>にくわしく書いていた。 古山豊さんの本によって記した、吉保生母きの女、その二度の再嫁と、そこで産んだ子供や、荻生徂徠との関わりについては、ウィキペディアなどにも記述がないけれど、八木書店の史料纂集古記録編『楽只堂年録』を校訂している宮川葉子さん(元淑徳大学教授)のコラム「柳澤吉保を知る」第5回吉保の側室達(一)飯塚染子で確認することができた。 柳沢吉保の公用日記『楽只堂年録』は、元々柳沢家には『静寿堂家譜』と呼ぶ公用日記があったのだが、火災で焼失したため、荻生徂徠が史料を博捜、再編したものだった。
https://company.books-yagi.co.jp/archives/7610
「柳沢吉保と六義園」のお話を聞く前に<小人閑居日記 2018.10.9.>
和歌浦、和歌三神、そして和歌山の地名の由来<小人閑居日記 2018.10.10.>
「古今伝授」北村季吟→柳沢吉保、「六義園」<小人閑居日記 2018.10.11.>
柳沢吉保と五代将軍綱吉<小人閑居日記 2018.10.12.>
改めて、それらや、そこにリストを挙げている「六義園」について書いたものなどを読むと、柳沢吉保の評価が二分されることは、吉保が仕えた五代将軍徳川綱吉の評価が二分されることにも、つながっていた。
2月12日に発信した、元禄地震 房総沖巨大地震と大津波<等々力短信 第1176号 2024(令和6).2.25.>に書いた、柳沢吉保の出世ぶりについては、柳沢吉保と五代将軍綱吉<小人閑居日記 2018.10.12.>にくわしく書いていた。 古山豊さんの本によって記した、吉保生母きの女、その二度の再嫁と、そこで産んだ子供や、荻生徂徠との関わりについては、ウィキペディアなどにも記述がないけれど、八木書店の史料纂集古記録編『楽只堂年録』を校訂している宮川葉子さん(元淑徳大学教授)のコラム「柳澤吉保を知る」第5回吉保の側室達(一)飯塚染子で確認することができた。 柳沢吉保の公用日記『楽只堂年録』は、元々柳沢家には『静寿堂家譜』と呼ぶ公用日記があったのだが、火災で焼失したため、荻生徂徠が史料を博捜、再編したものだった。
https://company.books-yagi.co.jp/archives/7610
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