小泉信三さん関係、拙稿一覧(その1) ― 2024/03/01 07:15
「等々力短信」
第521号 1990.2.5. SEVENTEEN/小泉信三賞佳作・伴典子さん、ボブ・グリーン『十七歳』(『五の日の手紙 2』244頁)
第563号 1991.4.15. 訂正二件/五島美術館の大こぶし・福沢諭吉全集完成祝賀会(『五の日の手紙 3』48頁。鬼のおかげ、「松永安左エ門」<小人閑居日記 2015.10.15.>、訂正二件〔昔、書いた福沢50〕<小人閑居日記 2019.4.23.>)
第564号 1991.4.25. 五十にして/福沢全集祝賀会での小泉信三スピーチ(『五の日の手紙 3』50頁。訂正、土橋俊一先生のご指摘で<小人閑居日記 2015.10.18.>、『福澤諭吉全集』完成記念会<小人閑居日記 2015.10.19.>、五十にして〔昔、書いた福沢51〕<小人閑居日記 2019.4.24.>)
第621号 1992.12.5.『わが文芸談』(〔昔、書いた福沢56〕<小人閑居日記 2019.5.22.>)
第781号 1997.8.15. 戦争を語り継ぐ/白井厚編『大学とアジア太平洋戦争』(『五の日の手紙 4』204頁)
第892号 2000.10.15. 左手の手紙/追悼・土橋俊一先生①、「短信」の良き読者(<小人閑居日記・2015.10.18.~19.>)
第893号 2000.10.25. 校正畏(おそ)るべし/②小泉信三・吉田小五郎、後進を褒める手紙
第935号 2004.1.25. 『岩波茂雄への手紙』(『岩波茂雄への手紙』と苦難の時代<小人閑居日記 2006.10.11.>)
第1023号 2011.5.25. 熱海の雪崩(「熱海の雪崩」考<小人閑居日記 2024.2.29.>)
第1172号 2023.10.25.(10.21.発信) 小泉信三さんの「鏡花と滝太郎」
<小人閑居日記>
「慶応の留学生」など<小人閑居日記 2002.8.27.>(河盛好蔵『藤村(島崎藤村)のパリ』(新潮社))
『言海』出版祝賀会序列問題<小人閑居日記 2002.9.30.>
第168回福沢先生誕生記念会<小人閑居日記 2003.1.10.>(松崎欣一さんの記念講演「草稿・演説・演説記録-福沢先生の「演説」」、小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト受賞者・志木高3名)
「東西いろはがるた」<小人閑居日記 2003.2.12.>(鶴見俊輔『新版 アメリカ哲学』福沢はプラグマティックな哲人、小泉信三「福沢諭吉の人と書翰」)
橋本五郎さんの福沢入門<小人閑居日記 2003.10.1.>(福沢諭吉協会土曜セミナー「ジャーナリストにとっての福沢諭吉」、兄は小泉信三さんを通じての福沢ファン)
三田で筑紫哲也さんの「多事争論」を聴く<小人閑居日記 2004.6.23.>(小泉信三記念講座)
徳川時代の人は背が低かった<小人閑居日記 2004.7.17.>(小泉信三記念講座、速水融さん「徳川日本への新しい視角」)
福沢長崎遊学150年(その1)<小人閑居日記 2004.10.19.>(「福澤先生留学址 昭和十二丁丑年 小泉信三撰並書」の石碑)
慶應日吉キャンパスの連合艦隊司令部<小人閑居日記 2005.6.30.>(小泉信三塾長に廃学危機を回避しての、国策協力と戦争遂行協力)
「海行かば」の早慶戦<小人閑居日記 2006.5.13.>(「小泉信三博士歿後40年記念講演会」服部禮次郎さん「小泉博士と福澤研究」、福岡正夫名誉教授「経済学者小泉信三」、松尾俊治さん「小泉信三先生と野球」)
アマチュア、そして総合人間学<小人閑居日記 2006.5.20.>(「福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会」丸山徹さん「小泉信三と作家たち」)
情感と風情、「述ベテ作ラズ」<小人閑居日記 2006.5.21.>
小泉信三さんとファールボール<小人閑居日記 2006.5.22.>
『三田評論』小泉信三追悼号<小人閑居日記 2006.5.23.>(『三田評論』「小泉信三君 没後40年」特集号)
前田祐吉監督の慶應野球<小人閑居日記 2006.5.24.>
伊藤整と小泉信三さん<小人閑居日記 2006.5.26.>
柘榴坂の写真は、綱坂(?)<小人閑居日記 2006.5.28.>(空襲時の小泉邸)
『清富の思想』、遊びのすすめ<小人閑居日記 2006.8.24.>(小泉信三記念講座、塩澤修平経済学部長)
「遊び心」で世のため人のため<小人閑居日記 2006.8.25.>
福澤諭吉協会の土曜セミナー<小人閑居日記 2006.10.7.>(竹田行之さんの『小泉信三と岩波茂雄、小林勇』)
小泉信三と岩波茂雄<小人閑居日記 2006.10.8.>
小泉信三と小林勇<小人閑居日記 2006.10.9.>
福沢著作の検閲<小人閑居日記 2006.10.10.>
『岩波茂雄への手紙』と苦難の時代<小人閑居日記 2006.10.11.>
谷中の朝倉彫塑館で<小人閑居日記 2006.11.5.>(「平和来」の像)
三田の戦没学生記念碑<小人閑居日記 2006.11.11.>
小泉信三賞・山下聖秀君の論文<小人閑居日記 2007.1.19.>(全国高校生小論文コンテスト)
山下聖秀君の論文を読んで<小人閑居日記 2007.1.20.>
早慶戦中止事件での高橋誠一郎先生<小人閑居日記 2007.6.19.>(高橋誠一郎歿後25年記念講演会、鳥居泰彦さん「高橋文部大臣と教育基本法」)
高橋誠一郎文部大臣と『帝室論』<小人閑居日記 2007.6.20.>
日本史上最大の事件と慶應義塾<小人閑居日記 2007.7.10.>(三田演説会、白井厚慶應義塾大学名誉教授「アジア太平洋戦争下の慶應義塾―故きを温ねて新しきを知ろう―」)
戦時下の慶應、小泉信三塾長<小人閑居日記 2007.7.11.>
戦時下、大学に出来なかったこと<小人閑居日記 2007.7.12.>
手料理とシューベルトと<小人閑居日記 2007.8.6.>(小泉信三記念講座、小此木政夫法学部長の「北朝鮮核問題と日本外交」)
体制「生き残り」のための核<小人閑居日記 2007.8.7.>
北朝鮮の核に対するアメリカの政策の変遷<小人閑居日記 2007.8.8.>
北朝鮮核問題、日本の戦略<小人閑居日記 2007.8.9.>
「反復」と「巨大な量」から宇宙をつかむ<小人閑居日記 2007.12.4.>(小泉信三記念講座、鷲見(すみ)洋一さんの講演「百科全書」)
『百科全書』とは<小人閑居日記 2007.12.5.>
『百科全書』の本文と図版<小人閑居日記 2007.12.6.>
今でも複式簿記を採用しない公会計<小人閑居日記 2008.1.17.>(小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト、石原克己君の「『帳合之法』の精神を、現代に再び」)
「小泉信三展」の若き実動部隊<小人閑居日記 2008.5.14.>
小泉信三さん、お人柄の形成<小人閑居日記 2008.5.15.>(「生誕120年記念 小泉信三展」)
「小泉信三展」で印象に残ったもの<小人閑居日記 2008.5.16.>
御田(みた)小学校のこと<小人閑居日記 2008.5.17.>
塩澤修平経済学部長にとっての小泉先生<小人閑居日記 2008.5.18.>(福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会「慶應ボーイ小泉信三 気品の泉源・智徳の模範の体現者」)
小泉信三さんは典型的「慶應ボーイ」<小人閑居日記 2008.5.19.>
文運の進展~慶應義塾創立百年記念式典<小人閑居日記 2008.5.20.>(小泉信三塾員代表の祝辞)
閑(レイジュア)とその使い方<小人閑居日記 2008.5.28.>(創立150年記念セミナー「英国に学ぶ」、山内慶太看護医療学部教授の「福澤先生の英国体験」)
慶應義塾創立150年記念式典、天皇陛下の「おことば」<小人閑居日記 2008. 11.11.>
創立100年記念式典での昭和天皇の「お言葉」など<小人閑居日記 2008. 11.12.>(小泉信三塾員代表の祝辞)
小泉信三さん関係、拙稿一覧(その2) ― 2024/03/02 07:10
吉田茂・談話「小泉信三」<小人閑居日記 2009.3.24.>(『文藝春秋』昭和41年7月号)
実業と学問と<小人閑居日記 2009.6.27.>(小泉信三『日本の民具』序文、渋沢敬三「日本魚名の研究」)
日銀総裁が一升ビンを提げて<小人閑居日記 2009.7.12.>(小泉信三『座談おぼえ書き』(自慢話のつづき)の渋沢敬三)
丸山徹さんの話を聴きに行く<小人閑居日記 2009.10.20.>
訂正「小泉信三さんとファールボール」<小人閑居日記 2009.10.23.>(<小人閑居日記 2006.5.22.>、1989(平成元)年9月25日「等々力短信」第509号「時の流れるままに」)
「三田文学」の「伝統」<小人閑居日記 2009.12.21.>~作家・水上瀧太郎の誕生<小人閑居日記 2009.12.24.>(三田演説会、坂上弘さん「荷風・瀧太郎の「三田文学」―明年「三田文学」創刊百年を迎えるにあたって―」)
水上瀧太郎の「撒水車」<小人閑居日記 2010.1.2.>(岩波文庫『貝殻追放 抄』演説館の下、三軒並んだ福沢家の二階建貸家)
50年前、大阪での福沢先生誕生記念祭<小人閑居日記 2010.1.10.>(第125回福澤先生誕生記念会)
杉道助さんの挨拶、板倉卓造さんの講演<小人閑居日記 2010.1.11.>
小泉信三さんのスピーチ「私立学校の幸福」<小人閑居日記 2010.1.12.>
西川俊作先生の「福澤ことば辞典」<小人閑居日記 2010.4.1.>(「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」)
多磨霊園、福沢・慶應ゆかりの人々<小人閑居日記 2010.6.30.>~三つの憲法草案と常用漢字改定<小人閑居日記 2010.7.3.>(福澤諭吉協会一日史蹟見学会「多摩地区に眠る福澤山脈を訪ねる」小泉妙さんも参加、松本烝治さん)
歴史人口学、地道な史料収集<小人閑居日記 2010.7.10.>(速水融名誉教授「歴史人口学―出逢い、史料、観察結果、課題」)
有竹修二著『講談・伝統の話芸』<小人閑居日記 2011.1.10.>
小泉信三さんと講談、八丁堀の講釈場<小人閑居日記 2011.1.11.>
「等々力短信」第1023号2011. 5.25. 熱海の雪崩(水上瀧太郎の父、阿部泰蔵(大正)八年熱海温泉に逗留中、雪崩の被害に遭い瀕死の重傷を負う。)(<小人閑居日記 2024.2.29.>)
「熱海の雪崩」その後<小人閑居日記 2011. 5.27.>(小泉妙さんの『父小泉信三を語る』)
熱海の鈴木旅館・別館<小人閑居日記 2011. 5.28.>
「三田の時代を慕ふかな」<小人閑居日記 2011. 6.25.>(旧図書館横「文学の丘」佐藤春夫詩碑『殉情詩集』「秋くさ」、小泉信三愛蔵の佐藤の遺墨から)
小泉信三さん関係、拙稿一覧(その3) ― 2024/03/03 07:49
慶應庭球部と、熊谷一弥、原田武一<小人閑居日記 2012.8.7.>(庭球部と小泉信三さん)
慶應クルーのメルボルン五輪<小人閑居日記 2012.12.20.>(比企能樹さんの「恕して『医』を行う―未だロウアウトならず―」、『スポーツの三つの宝』)
坂上弘さんの講演「水上瀧太郎―人と文学」(小泉信三記念講座、坂上弘さんの「水上瀧太郎『銀座復興』をめぐって―震災と文学」)
皆に篤く信頼された水上瀧太郎<小人閑居日記 2012.12.29.>(小泉信三昭和17(1942)年『三田文学』の「水上瀧太郎の文学と実業」)
『銀座復興』の他三篇と「まり千代」<小人閑居日記 2012.12.31.>(『わが文芸談』で美しいとした「果樹」)
江藤省三監督、小泉信三先生の思い出<小人閑居日記 2013.1.21.>(小泉信三記念講座、江藤省三野球部監督の「プロ野球と学生野球」)
大学教育の役割、清家塾長の年頭挨拶<小人閑居日記 2013.1.23.>(小泉信三の言葉「すぐ役に立つ人間は、すぐ役に立たなくなる」)
小泉信三・桑原三郎両先生を拾い読む<小人閑居日記 2013.1.25.>(小泉信三著『私の福澤諭吉』(講談社学術文庫)所収の「福澤諭吉『愛児への手紙』(解題)」。)
石原慎太郎議員の予算委質問、「国の会計を複式簿記に」<小人閑居日記 2013. 2.14.>(小泉信三賞<小人閑居日記 2008.1.17.>も再録)
大先輩・和田實さん、「慶應義塾と戦争」<小人閑居日記 2013.10.1.>(福澤協会土曜セミナーで同席、お話を聞く)
昭和20年12月小泉信三塾長の「塾生諸君に告ぐ」<小人閑居日記 2013.10.2.>(「戦うべからざるを戦った」「まなこを挙げて 仰ぐ青空 希望は高く 目路(めじ)は遥けし」)
「あいつぐ試練」豊田章男トヨタ自動車社長<小人閑居日記 2013.12.27.>(小泉信三記念講座、「慶應義塾体育会の誇りを胸に」ホッケー部、スポーツの「三つの宝」)
危機に生きた、体育会での体験<小人閑居日記 2013.12.28.>
〈ヒットメーカー〉福沢、慶應の出版と小泉信三<小人閑居日記 2014.5.30.>(竹中英俊さんの「福澤諭吉と出版業」、小泉、大学拡張(ユニヴァーシティ・エクステンション)の重要性を認識し、株式会社として慶應出版社を設立)
天皇陛下、傘寿のお言葉と慶應義塾150年スピーチ<小人閑居日記 2014.6.1.>(天皇皇后両陛下の、小泉信三さんを通じての慶應義塾への思い)
小泉信三さんの東宮職参与<小人閑居日記 2014.6.2.>(今村武雄著『小泉信三伝』「塾長を辞す」と「ヴァイニング夫人」)
阿川弘之さんの『米内光政』執筆動機<小人閑居日記 2014.8.13.>(等々力短信 第246号 1982(昭和57)年3月25日、盛岡の米内光政銅像・小泉信三さんの碑文)
福岡正夫さんの「蝶と私」序論<小人閑居日記 2014.12.12.>(小泉信三記念講座、福岡正夫名誉教授の「蝶と私―わが趣味を語る」)
自然とのふれあい、子供の心と大人の素養<小人閑居日記 2014.12.15.>(『読書雑記』エドワード・グレイ英外相とルーズベルト米大統領のバードウォッチング)
追悼・阿川弘之さん、海軍提督三部作<小人閑居日記 2015.8.21.>(等々力短信 第408号 1986(昭和61)年11月5日「ゆとり創造月間」に、小泉信三歿後二十年の会・阿川さんの講演「小泉先生と海軍」)
鬼のおかげ、「松永安左エ門」<小人閑居日記 2015.10.15.>(「等々力短信」第524号 1990(平成2)年3月5日 鬼のおかげ)
八十青年欧米視察と日本経済再建<小人閑居日記 2015.10.17.>(松永安左エ門米寿祝賀会、小泉信三さんの祝辞)
訂正、土橋俊一先生のご指摘で<小人閑居日記 2015.10.18.>
『福澤諭吉全集』完成記念会<小人閑居日記 2015.10.19.>(「等々力短信」第563号 1991(平成3)年4月15日 訂正二件)
神吉創二さん『伝記小泉信三』出版まで<小人閑居日記 2015.12.10.>(福澤協会土曜セミナー神吉創二さん「小泉信三という人―『伝記 小泉信三』を上梓して―」)
『伝記小泉信三』の刊行と反響<小人閑居日記 2015.12.11.>
『伝記小泉信三』執筆裏話<小人閑居日記 2015.12.12.>
福沢諭吉と小泉信三<小人閑居日記 2015.12.13.>
勇気を出す練習<小人閑居日記 2015.12.14.>
『三田評論』「追悼・小泉信三」号から<小人閑居日記 2015.12.15.>
小泉信三さんの幅広い趣味<小人閑居日記 2015.12.16.>(『小泉先生追悼録』(『新文明』臨時増刊))
「福澤諭吉ここに在り」の合唱<小人閑居日記 2016.1.17.>(佐藤春夫の草稿、60番くらいまであった?)
桑原三郎先生と「福沢諭吉ここにあり」<小人閑居日記 2016.1.18.>
大学の役割、清家篤塾長年頭挨拶<小人閑居日記 2016.1.19.>(ハーバード大学創立300年式典に招かれた小泉信三塾長)
小泉信三さんの「佐藤春夫」<小人閑居日記 2016.1.22.>(昭和39年7月『心』の追悼文)
92歳、古屋豊さんが小さな声で言った<小人閑居日記 2016.4.15.>(1年10カ月在校した慶應義塾大学予科から学徒出陣)
「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト<小人閑居日記 2016.4.16.>(福澤研究センター、2013年8月からの活動)
「戦争の時代と大学」展の冊子から<小人閑居日記 2016.4.17.>
塾長小泉信三の評価をめぐって<小人閑居日記 2016.4.18.>(都倉武之准教授、「『慶應義塾と戦争』をめぐるオーラル・ヒストリー―記憶とモノを如何に繋ぐか―」)
レオ=レオニの『フレデリック』を読んで<小人閑居日記 2016.5.1.>(藤原工業大学開校時の小泉信三の意見)
27歳の時書いた「馬場辰猪と福沢諭吉」<小人閑居日記 2016.8.6.>(小泉信三さんが福沢の国の独立を思う気持を示すものとしてしばしば引用したあの手紙)
橋本五郎さんの「戦後日本と小泉信三先生」<小人閑居日記 2016.12.23.>(小泉信三記念講座「戦後日本と小泉信三先生――没後五十年に際して」)
「全面講和論・中立論は成り立たない」<小人閑居日記 2016.12.24.>
「帝室は政治社外のものなり」<小人閑居日記 2016.12.25.>
小泉信三さん関係、拙稿一覧(その4) ― 2024/03/04 07:07
防衛大学校校長としての槇智雄<小人閑居日記 2017.1.8.>
槇智雄さんの小泉信三さん追悼文<小人閑居日記 2017.1.9.>(「小泉信三君追悼記念号」の「塾長時代の一面」)
昆野和七さんの小泉信三さん追悼文<小人閑居日記 2017.1.10.>(『小泉信三先生追悼録』の「福沢諭吉書翰と小泉先生」)
再建された旧吉田茂邸を見学<小人閑居日記 2017.8.2.>(蔵書に小泉信三の著書多数)
『福澤諭吉 慶應義塾史 新収資料展』<小人閑居日記 2017.8.14.>
藤原工業大学と高橋誠一郎文部大臣<小人閑居日記 2017.8.15.>
小泉信三追悼・吉田茂の思い出話<小人閑居日記 2017.8.20.>(吉田茂・談話「小泉信三」<小人閑居日記 2009.3.24.>
高山正也名誉教授の「慶應義塾と図書館」<小人閑居日記 2017.11.19.>(図書館長、小泉信三(大正13~昭和8/8年11か月間))
澤木四方吉、その生涯と足跡<小人閑居日記 2018.5.25.>(小泉信三、三辺金蔵、小林澄兄とともに欧州留学)
保阪正康さんの皇室論<小人閑居日記 2018.9.6.>(小泉信三クラスの補佐役不在)
皇后様と島多代さん・小泉信三さん<小人閑居日記 2018.9.8.>(島多代さんの祖母は小泉信三さんの姉・千、小泉信三さんは大叔父)
小泉信三記念講座、北朝鮮問題の11年<小人閑居日記 2018.11.10.>(平岩俊司南山大学教授の「金正恩政権の北朝鮮と国際社会」)
続・あるクラスメイトの訃報<小人閑居日記 2018.11.26.>(父上が小泉信三さんの教え子で、名は小泉信三さんの命名)
小川原正道さんの「福沢諭吉の『神政府』批判」<小人閑居日記 2018.12.17.>(福澤協会土曜セミナー、『小泉信三―天皇の師として、自由主義者として』(中公新書))
北里柴三郎と福沢諭吉の遭遇〔昔、書いた福沢30〕<小人閑居日記 2019.3.10.>
「小泉信三御進講覚書」<小人閑居日記 2019.4.18.>(「カルチャーラジオ~NHKラジオアーカイブス」小泉信三さんの放送)
小泉信三さんが皇太子殿下と読んだ本<小人閑居日記 2019.4.19.>(『ジョオジ五世伝』、『帝室論』、幸田露伴『運命』、志賀直哉『城の崎にて』、井上靖『蒼き狼』、川端康成『古都』)
訂正二件〔昔、書いた福沢50〕<小人閑居日記 2019.4.23.>
五十にして〔昔、書いた福沢51〕<小人閑居日記 2019.4.24.>
再び「小泉信三御進講覚書」<小人閑居日記 2019.5.17.>(山内慶太・神吉創二・都倉武之編『アルバム 小泉信三』(慶應義塾大学出版会)に全文)
福沢『帝室論』とバジョットの『イギリス憲政論』<小人閑居日記 2019.5.18.>(『三田評論』座談会「『帝室論』から読み解く象徴天皇制」)
「戦後の思想空間の中での福澤諭吉、小泉信三」<小人閑居日記 2019.5.19.>(楠茂樹上智大学法学部教授の「戦後の思想空間の中での福澤諭吉、小泉信三――『帝室論』に触れながら」)
「戦後復興期の慶應義塾の気概」<小人閑居日記 2019.5.20.>(山内慶太教授の「春秋ふかめ揺ぎなき――戦後復興期の義塾の気概」)
『わが文芸談』〔昔、書いた福沢56〕<小人閑居日記 2019.5.22.>(『わが文芸談』<等々力短信 第621号 1992(平成4).12.5.>)
橋本五郎さん「ジャーナリストとして福沢から学ぶもの」[昔、書いた福沢189]<小人閑居日記 2020.1.12.>(橋本五郎さんの福沢入門<小人閑居日記 2003.10.1.>、「ジャーナリストとして福沢から学ぶもの」<小人閑居日記 2003.10.2.>、福沢の女性論と家族への愛<小人閑居日記 2003.10.3.>)
福沢索引2006年5月のブログ・小泉信三博士歿後40年[昔、書いた福沢232]<小人閑居日記 2020.3.11.>
福沢索引2006年10月のブログ・竹田行之さんの『小泉信三と岩波茂雄、小林勇』[昔、書いた福沢243]<小人閑居日記 2020.3.22.>
宮川公男教授の「福澤諭吉の文明論と統計(スタチスチク)論」<小人閑居日記 2020.6.12.>(『三田評論』特集「福澤諭吉と統計学」)
小泉信三博士歿後40年[昔、書いた福沢232]<小人閑居日記 2020.3.11.>
志ん生の「大津絵」と小泉信三さん<小人閑居日記 2020.10.25.>(暮に古今亭志ん生を座敷に呼び、「冬の夜」に泣く)
小泉信三の富田正文に対する深い信頼<小人閑居日記 2021.10.15.>(山内慶太さん「塾歌に歌われた慶應4年」、塾歌の作詞者に富田正文を選ぶ)
小幡甚三郎と独立の気力「往け涯なきこの道を」<小人閑居日記 2021.10.16.>(「塾歌」二番と小幡甚三郎)
軍部とその周辺の圧力から、慶應義塾を守り抜く<小人閑居日記 2021.10.17.>(塾歌が作られた時代)
「正解はすぐそばにある、けしてあきらめるな」<小人閑居日記 2022.3.26.>(小泉信三記念講座、大西公平名誉教授の『ロボットがいる!』)
エリザベス女王「プラチナ・ジュビリー」中継を見て<小人閑居日記 2022.6.8.>(小泉さん、戴冠式に参列の皇太子に同行)
小泉信三さんの「スポーツが与える三つの宝」<小人閑居日記 2022.9.8.>(練習は不可能を可能にする。フェアプレーの精神。よき友。)
泉鏡花記念館と慶應義塾図書館<小人閑居日記 2023.10.18.>(福沢協会金沢旅行、泉鏡花遺品寄贈に水上滝太郎と小泉信三関係)
「等々力短信」第1172号 小泉信三さんの「鏡花と滝太郎」 2023.10.25.(10.21.発信)
福沢諭吉、小泉信三、井筒俊彦と西田幾多郎<小人閑居日記 2023.10.23.>(石川県西田幾多郎記念哲学館、小泉信三と西田幾多郎)
小泉信三の戦争、慶應義塾を守る苦闘<小人閑居日記 2024.2.24.>(NHK BS「岩田剛典が見つめた戦争 小泉信三 若者たちに言えなかったことば」)
学徒出陣、「忠孝不二」という揮毫<小人閑居日記 2024.2.25.>
「戦没将兵合同慰霊祭」「戦没塾員讃歌」<小人閑居日記 2024.2.26.>
東宮御教育参与、「人の疾苦を思う」<小人閑居日記 2024.2.27.>
小泉信三さんの母校「御田」小学校、私の父も<小人閑居日記 2024.2.9.>(三田あるこう会「御田」)
小泉信三さん関係、拙稿一覧(その1~4)<小人閑居日記 2024.3.1.~4.>
柳亭左ん坊改メ柳家小太郎の「道具屋」 ― 2024/03/05 07:02
2月29日は、第668回の落語研究会だった。 雨の予報で、案の定、跳ねたら水天宮前は雨だった。 柳亭左ん坊改メ柳家小太郎、落語研究会は遅刻の懺悔、前座の時から手伝っていたのだが、クリスマスの日に末広亭にいたら、TBSのプロデューサーから電話、ボーーッとしていて元気よく出ると、今日落語研究会ですよね、今どこにいる?と。 慌ててタクシーで千円札ピラピラさせて、駆け付ける。 謝るしかない、開演ギリギリ10分前ぐらいに到着した。 トリは権太楼師で、もう来ていた。 (柳亭)こみちが、かばってくれるか。 落語家になって4年目、これで終わったか。 権太楼師が、「左ん坊!」 ハイ。 「煙草喫いたいんだけど、どこで喫える?」 ニコチンは人類の敵だと思っていたけれど、ニコチンに救われた。 あとから来た小満ん師匠は、にこやかに「メリークリスマス!」。 今日は、ちゃんと来ました。 二ッ目になりたてなので、「道具屋」をやろうと思うというと、落語研究会では15年ぐらい出ていないそうで。 落語研究会、ぼんやりと研究してんのかい…、盲点で、やり慣れてる「道具屋」をやります。
噺の方には、ボーーッとしているのが出てくる。 与太郎、突っ立ってないで、中に入れ。 おっ母さんが、こぼして行ったぞ、涙を。 いくつになった? 36。 ブラブラしているのは楽でいいが…、おじさんの商売、道具屋を教えてやる。 ゴミ、がらくた物を、道具市で仕入れてきて、売るんだ。 お前、目が利くか。 前の鉄瓶、ふめるか。 お湯が煮えたぎってるから、火傷するよ。 目で、ふむんだ、値踏みだ。 その大きなつづら、中を改めろ。 お雛様が一つ、錆びたノコギリ、ももひき。 あっ、お雛様の首が抜けた。 ノコギリ、赤いね。 火事場で拾ってきた。 ももひきは、ひょろびいのももひき、ひょろひょろしていてビーーッと裂ける。
市へ行って来い、神田三河町の杢兵衛の所から来たと言え。 屑屋は、目から鼻に抜けて、一人前だ。 お前、まなかか、藤四郎だな? 与太郎だ。 杢兵衛さんが、甥の与太郎が、バ……カだとか言ってた、店のやり方教えてやろう。
さあ、出来たての道具屋だ。 ノコ見せな。 ノコにある? ノコギリだ。 赤えな。 火事焼けだ。 ひでえ物、売るねえ。 ションベンされた、てんだ。駄目だよ、向うの懐に入り込むんだ。 蚤みたいだ。 タコみせな。 タコ? ももひきだ、足がへえるからタコてんだ。 ションベンできないぞ。 前が割れてるじゃねえか。 ひょろびいのももひきだ、ひょろひょろしていてビーーッと裂ける。 また、来るよ。
道具屋君! 珍なるものはあるか? チンなら、男ですからあります。 出してみろ。 出してどうする? わしの、手の上にのせる。 ヴェッ! そこの短刀を見せろ。 短刀? 白ざやの短けえ刀があるじゃろ。 銘はあるか? 姪はいないが、神田に伯父さんがいる。 抜けないぞ。 手伝いましょうか。(二人で引っ張っても抜けない) 抜けないな。 木刀ですから、抜ける物なら、お雛様の首があります。
後ろの鉄砲を見せろ、種子島だな。 時代がついておるが、これはなんぼか? 一本です。 鉄砲の代だ。 台は、樫の木。 金だ。 金は鉄。 値(ね)だ。 音は、ズドーーン!
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