柳家はん治の「ろくろ首」2024/08/07 06:57

 馬鹿は物に動じないと申します。 物がわからないからで、わかるとびっくりする。 松公! さよなら。 なんだ、来たばかりで。 挨拶をしろと、言われた。 来た時は、こんにちは、だろう。 伯父さんに、相談がある。 兄貴がね、三十三だ、三年前におかみさんをもらって、赤ん坊が生まれた。 子供を見てると、可愛い。 それが、どうした? 三人で飯を食っていて、おかみさんが兄貴のことを「ちょいと、お前さん」「あなたやー」なんて言うんだ、いやんなっちゃう。 それが、どうした? アタイは、お袋とさしむかえで飯を食う。 お袋は、フガフガフガフガ食って、あとで総入歯をはずして洗う。 それを飲むんだ。 トンネルみたいな口をして、「あなたやー」なんて言わない。 だから、アタイも……。 松公、幾つになった? 二十五。 二十五にもなって、アタイはないだろう。 じゃあ、僕。 僕ニンジン。 わたしも二十五だから……、アー、きまり悪い。 ハッキリ、言ってみろ。 目つきが変わったな。 わたしも二十五だから……、(大声で)おかみさんがもらいたい! おどかしやがったな。 婆さん、そっちで、腹抱えて笑ってんじゃないよ。 おかみさんに、どうやっておまんまを食わせるんだ。 箸と茶碗で。 男一人前じゃなくては、駄目だ。 そんな相談には、乗れない。 寝てばかりいると、損をするぞ。 イギリスにネルソンという人がいる。 早起きは三文の得という。 アタイも五円拾った。 アタイが落としていた。

 婆さん、何だ。 松ちゃん、お屋敷のお嬢さんのお婿さんにどうかね。 感じがないから、いいかもしれない。 養子の口だ、婆やさん、お乳母さんだが、それとお女中が二人、お嬢さんは小町といわれる器量良し、うめえもの食って、のそのそ遊んでいられる。 そこに行くか、そこに? ただ理由(わけ)がある、お嬢さんに悪いお病いがある。 実は夜、お休みになると。 寝小便か、アタイも時々やる。 一番奥に行燈があって、六枚物の金屏風が立ててある。 丑三つ時、二時頃、お嬢さんの首がヌーーッと伸びて、金屏風を越えて、行燈の中の油を、ペチャペチャなめるんだ。 それは、面白い。 病いをご承知の方なら、と言われている。 ドクドックビだ、アタイは余り好かない。 夜中だけだろ、大丈夫だ、アタイは一度眠ると目が覚めないから、「のびろや、のびろ、天までのびろ」。 婆さん、松公をお屋敷に連れて行こうか。

 松公、もう一つ、お乳母さんが丁寧な人なんだ。 今日は結構なお天気でと挨拶されたら、「さようさよう」と言うんだ。 亡きご両親もさぞお喜びでしょうと言うから、「ごもっともごもっとも」と言え。 私も寄る年波ですがよろしくと言われたら、「なかなか」というんだ。 「さようさよう」「ごもっともごもっとも」「なかなか」と、挨拶の稽古をする。 毬に紐をつけ松公の下帯に結んで、それぞれ一回、二回、三回と伯父さんが引っ張って合図することにして、出かける。

 お嬢さんが、お庭先を通るそうだ。 猫が来た、子猫だよ。 柔らかそうで、旨そうだ。 ヒゲを抜くな、鼠を捕らなくなる。 医者の木村先生もヒゲがあるけれど、鼠は捕らない、代りに診察料を取る。 通るよーーッ、通るよーーッ、きれいな人だね、兄貴のおかみさんよりずっときれいだ、いいねぇー。 歩いてるよ、あの首がのびるの。 昼は何事もない、雨が降るような暗い晩のことだ。 松公が「さようさよう」「ごもっともごもっとも」「なかなか」を連発する。 紐の先につけた毬に、猫がじゃれてるんだ。

 めでたく縁談が決まって、当日はご馳走を食べて寝る。 寝床が変わると、なかなか寝むれない。 夜中に目が覚めて、アタイお婿さんに来ちゃったんだ。 隣に寝ている、きれいな人だな。 時計が「チンチン」と鳴る、「ごもっともごもっとも」だ。 いい女だけれど、寝相がよくない、とお嫁さんを見ていると、アーーーッ、伸びた、伸びた!

 ドンドン! 伯父さん、伯父さん、開けてくれ! 駄目だ、首が伸びた、伸びた! お前、承知で行ったんだろう。 初日からは、駄目だ、あんなもん。 お袋の所へ帰る。 どのツラ下げて帰るんだ。 お袋さんは、明日はどんないい便りがあるかと、首を長くして待っているぞ。 アーーア、家にも帰えれねえ。