入船亭扇辰の宇野信夫作「江戸の夢」前半2024/08/11 07:16

 扇辰は出るなり、天井の方を見て、エーーッと、何かを考えている。 「柿の木や」じゃ、当り前でいけない。 「熟れ柿や」、縁起が悪そうだし、「渋柿や」では、見た様だな。 うん、うん…。 お前さん、こんなところで、何してるんです。 武兵衛は、今年は柿の生り年だ、声をかけるから、思いついた句が、すーーっと消えてしまった、と。 発句どころじゃないんですよ、娘のお照が、藤七をウチの婿にって、言ってきました。 藤七は、奉公人じゃありませんか。 お照がそういうなら、仕方あるまい。 私はいやですよ。 働き者で、男っぷりもそう悪くない、だけど、金毘羅参りの形でウチに来た、得体の知れない者はいやです。 ウチは日蔭村の庄屋ですよ、いやだ、いやだ。 まあまあ、そうガミガミ言いなさんな、言葉や行儀から見て、あれは悪い所で育った人間ではない。 女房のおらくも、しぶしぶ承知をして、十一月半ばに婚礼、器量良しのお照の婿となった藤七は、今まで同様、奉公人と一緒に働く。 評判が、どんどん良くなっていく。 武兵衛とおらくは、早く孫の顔が見たい、二人で江戸見物をしてみたい、と話し合う。

 藤七かい、こちらに入っておくれ。 おらくと二人で江戸見物してみたいと思っているんだが、どうだろう。 ぜひ、お出かけになって下さい、いつ頃ですか? 陽気がよくなってからだな、目に青葉という頃がいいだろう、留守を頼みたい。

 藤七が朝、荷車を挽いて出たまま、帰らない。 お照は、ざわざわ胸騒ぎがしてくる。 四つ過ぎ、今の十時過ぎ、根回しをした茶の木を、荷車一杯に積んで戻り、隣村にはよい木がなくて、そこから四里離れた駒込村まで行ったという。 武兵衛が腹を立てて、ちゃんと話をしてから行け、と怒鳴った。

 藤七は、庭の日当たりのよいところに、茶の木を植えた。 藤七や、茶を飲まないか、お前は茶の木が好きだな。 宇治にいたことがあるんです。 建仁寺の栄西が宋から茶種をもたらして栽培、明恵が栂尾の高山寺で栄西が将来した茶の木を栽培し、宇治に広まり茶の三つの産地になったんです。 学者だな、三つが千になって、湯を差して飲むのを、煎茶という。 飛んだ落とし話だ、千三つというぐらいでな。

 梅、桜から、燕子花(かきつばた)が咲いたら、江戸に発とう。 まだお休みではございませんでしょうか。 藤七か。 ちょっと、お願いが…、江戸へいらっしゃったら、浅草の観音様にお参りをなさるでしょうが、観音様の前、並木に葉茶屋で奈良屋という店があります。 これは、私がこしらえたお茶でして、その奈良屋で出来の良しあしをみてもらいたいんです。 よろしくお願いいたします。

おらく、私も話を聞いたばかりで、なんだかよくわからない。 藤七が、お父っつあん、豆茶が入りましたって、年越しの豆を入れてつくったお茶を、うまいな、と飲んだことはあったが…。

おらくや、お照がナニなんじゃないか、出来たんじゃないか。 まだ三月だそうですが。 アーーッ、そうか、ナニだったのか、初孫か、いいな。 旅立ちの前に、いい話を聞かせてもらった。 男の子がいい、女の子もいいんだよ、一姫二太郎といってな、授かりものだ。 丈夫な子を産んでもらいたい。