松田正平さんの絵と展覧会2024/08/23 07:01

 私は松田正平さんが好きで、『風の吹くまま 松田正平画文集』(2004年、求龍堂)も持っていた。 あらためて見たら、1931年の浪人時代から東京美術学校卒業までの6年間を過ごした文京区小石川にあった寄宿舎、日独館前での写真があった。 この寄宿舎には同郷の美術を志す若者が人づてに集まっていて、汚い学生服の五人と着物姿の一人、なぜか前掛けをした坊ちゃん刈りの子供も写っている。 眼鏡の松田正平の前にいるのが、一年前に美校に入学した香月泰男だという。

 この日記にも、松田正平さんの絵や、展覧会を見た話を書いていた。

松田正平さんの絵<小人閑居日記 2004.5.17.> 瞬生画廊の「松田正平展」<小人閑居日記 2008.5.23.>

      松田正平さんの絵<小人閑居日記 2004.5.17.>

 15日に画家の松田正平さんが亡くなったと、新聞に出ていた。 ご自宅は山口県宇部市、91歳だったという。 先日図書館で借りてきた『香月泰男の絵手紙』という本の解説を、絵手紙の小池邦夫さんが書いていて、その中に香月さんと松田さんが同郷で、美大では藤島武二教室の仲間だったという話が出ていた。 松田さんが二歳下だったが、お互いに頑固で自分の考えを曲げず、二人は取っ組み合いの喧嘩をよくしていたという。 小池さんは三年前(ということは四年前か)まで、松田さんからよく手紙をもらったという。 その手紙は美しく、作品にも決して負けない線の鋭さと品位とがあって、見ているだけで幸せになれた、豊かな静けさが漂っていた、と小池さんは書いている。

 洲之内徹さんの「きまぐれ美術館」のことを等々力短信に書いた時、松田正平さんのことにちょっと触れたことがある。 あらためて「きまぐれ美術館」のカタログを見ると、松田さんの絵は、香月さんの絵によく似ているのだった。

      瞬生画廊の「松田正平展」<小人閑居日記 2008.5.23.>

 20日、朝方の激しい雨風が収まってきたところで、銀座に出た。 瞬生画廊に「松田正平展」(24日まで)を見に行ったのだ。 瞬生画廊は並木通りの空也ビルの2階にある。 家内が珍しく貼り紙がないからと、空也を覗くと案の定、雨風のせいだろう、予約なしでも最中が手に入った。

 松田正平さんの絵は、好きだ。 実は、その素朴な署名も、好きなのだ。 油彩の小品が3点。 あとは、水彩やグワッシュのスケッチが10数点。 やはり案内のハガキになっている4号の「バラ」がいい。 グレーっぽい地で、そのグレーがそのままゆがんだ花瓶に使われている。 花瓶のひしゃげたのが、いい加減なようでいて、どこか惹かれる。 それが正平さんなのだ。 スケッチには、ピンクの「周防灘」、べら、いか、などがあった。 いいな、と思うのもあれば、ちょっと、というのもある。

 画廊のご主人は、なかなか松田正平さんの絵が集まらなくなった、という。 年々、高くなって、去年の売値が、仕入れ値だとか。 テレビでやって、人気が出た。 ここで毎年やる香月泰男さんもそうだが、命日から展覧会を始めるのだそうだ。 松田正平さんは、2004(平成16)年5月15日、91歳でなくなった。

 亡くなった年の2月に出た画文集『風の吹くまま』(求龍堂)にある正平さん91歳の言葉、

「油絵がわからんから、生涯描くでしょう。本気で。/だから絵を描くのに邪魔になるものは、できるだけ捨ててきた。/自分がきれいだなと思ったものを、率直に表現したいというのが、/私の願いだ。」

「一気につかみたいような気分はあるね。/結局、線こそ命ですよ、絵は。/線がひけたらたいしたもの。」