一月晦日、里見は田沼に呼ばれて、吉原の俵屋へ行く ― 2024/10/07 07:09
夕刻、里見樹一郎は心の裡(うち)で文耕に別れを告げたいと思い、小塚原の刑場に行き、真新しい獄門台の上の、文耕の首を見た。 眼を閉じているためか文耕らしさが伝わってこない。 遠巻きにして、恐る恐る見物人がそれを眺めている。 破門された伝吉や、深川のお六もいた。
明けて宝暦九年、一月晦日、里見は田沼意次に呼ばれて、吉原の俵屋へ行った。 なぜ田沼の屋敷でなく、吉原で会わなくてはならないのかわからなかった。 俵屋小三郎に案内され、内所の奥の部屋に続く板戸を開けると、田沼がいた。 「今日は馬場殿の月命日」と里見が言うと、田沼はいま初めて気がついたようだった。 里見は、半月ほど前から、文耕の部屋に移り住んでいた。 文耕の世話をして暮らしの助けを受けていたので、困っているお清に、文耕の代役を務めることにしたのだ。 田沼の使いが里見の部屋を訊ね、手間取ったというので、その経緯を説明すると、田沼は「それはよいことをなさった」と言った。
その夜は、酒肴のたぐいは出されず、里見は拍子抜けのような気分を味わいながら、俵屋を辞去した。 話の途中であらためて田沼家への仕官を早めるように勧められたが、里見は断った。 多くの死を止めることができなかったからと。 市井にあって世のためになる道を選ぶつもりだと告げると、田沼は簡単に引き下がってくれた。
大門を出た里見は、日本堤を歩きながら、奇妙な思いを抱きつづけていた。 果たして、田沼は何故、俵屋に自分を招いたのだろう。 この夜のやり取りの中で、最も強く反応したのが、長屋のお清と信太母子のことだった。 だが、田沼に興味のあることとは思えない。 では、誰にとって最も関心があることだったろう……と、そこまで考えが及んだとき、里見は歩みを止めた。
「そうか!」 そして、不意に哄笑した。 なぜ田沼が俵屋で、しかも内所の奥の部屋で会おうとしたのかがわかった。 誰かに、二人の話を聞かせようとしていたのだ。 そして、この里見樹一郎に、あることを知らせようとしていたのだ。 里見はふたたび歩きはじめると、暗い夜空に向かって小さく叫びかけるように言った。 「信太、喜べ!」 そして、続けた。 「馬場殿は、生きておられるぞ」 (了)
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