沢木耕太郎さん、郡上一揆と馬場文耕を書くきっかけ ― 2024/10/08 06:52
沢木耕太郎さんの初めての時代小説『暦のしずく』、9月20日からずっと「あらすじ」を綴ってきたが、書いているうちに面白くなって、つい長くなってしまった。 ところが、「終章 獄門」は二回分しかなく、ごく短い。 それも不思議な終わり方をした。 初めに読んだときは、何が起こっているのか、どうもよくわからなかった。 あらためて、「あらすじ」を綴ることで、私も「そうか!」と思ったのだった。 悲劇の主人公、源義経は生きていた、チンギス・ハーンになったという判官贔屓の伝説もある。
9月3日、沢木耕太郎さんの「『暦のしずく』連載を終えて」「小さな出来事 そのひとことから」が、朝日新聞朝刊に出た。 沢木さんが馬場文耕の名を知ったのは、かなり若い頃で、過激な講釈をしたため獄門に処された、ということくらいの知識しかなかった。 それでも、心のどこかに引っ掛かりつづけていたのは、その名に「耕」の文字が含まれているからというようなつまらない理由からだった。 ところが、七、八年前、ひとつの小さな出来事に遭遇した。 その日、名古屋から足を延ばし、初めて郡上八幡を訪れ、白山長滝という駅にある白山文化博物館へ行った。 郡上八幡は、郡上踊りで有名だが、歴史的には郡上一揆で有名な土地でもある。 沢木さんは、傘連判状を見てみたかったのだ。 一揆の農民たちが、筆頭に書かれた人物、つまり首謀者を特定されないための工夫で、名前を円形になるように記した連判状だ。 掛け軸に表装されたそれは、あたかもダンゴムシのように丸くなることで身を守ろうとしているかのようであり、同時に、それぞれが中心に向かうことで固い団結の意味を示しているようでもある。 捺された印も、黒い血の血判のようなまがまがしさを放っていた。
適当な宿がなく、小さなビジネスホテルに泊まることにして、鰻屋で早めの夕食をとり、タクシーを呼んでもらった。 感じのいい中年の運転手は、かつて緒方直人主演で作られた『郡上一揆』という映画に、エキストラで出演したとわかり、話が盛り上がった。 ホテルの前で、料金を払い、おつりを受け取る段になって、振り向いた運転手が、驚いたような声を上げた、「沢木……さんですか?」 そんなことは滅多にない、生涯に一度の経験だった。 恐る恐る訊ねると、「『一瞬の夏』以来、ずっと読んでいるもんですから……」 そして、さらに、「郡上一揆について、何かお書きになるんですか?」と言った。
沢木さんは、ホテルでチェックインをし、薄暗い廊下を歩きながら、もしかしたら、将来、自分は馬場文耕について書くことになるかもしれないな、と思っていた、という。
連載の最終回に、「参考文献は単行本に明記します。」とあった。 いずれ、単行本になるのだろう。 たまたま、「田中優子・松岡正剛『日本問答』」を「等々力短信」第1183号(2024(令和6).9.25.)9月18日に発信したが、『日本問答』(岩波新書)の82頁で、松岡正剛さんが、こう発言していた。 「西山松之助さんの『家元制度の研究』によると、日本で最初に家元とよばれた家は、歌道を継承する御子左家(みこひだりけ)らしい。今日つかっているような意味での家元の初見は宝暦年間(1751~64)で、馬場文耕の『近世江都著聞集』にあるようですね。」
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