佐伯啓思さんの「自民党は保守なのか」 ― 2024/10/10 06:54
10月2日朝日新聞朝刊、佐伯啓思さんの「異論のススメ」スベシャル「自民党は保守なのか」に、「福沢諭吉」が出てきた(後段で触れる)。 9月27日の自民党総裁選で、従来の派閥に属さずに自民党のなかで「異端」の立場にあった石破茂氏が、新総裁に決定した。 石破氏が広く知られるようになったのは、1993年に政治改革法案に賛同して、自民党を離党したあたりからである、という。 その後、自民党に復帰するが、90年代とは、ジャーナリズムや世論もふくめて、「改革」一色の時代であった。 自民党改革からはじまり、政治改革、行政改革、経済構造改革へと続く。 石破氏もこの流れのなかにいた。 世界中が急激な変化にさらされている時代にあっては、あらゆる領域で時代遅れの慣行や不都合な制度がでてくる。 だから改革は当然だとしても、政治の中心的な場所で「改革」が叫ばれて30年というのはいささか異常であろう。 ところが、今回の自民党総裁選では、多くの候補者が「保守」という言葉を使った。 確かに「自民党とは何か」と問えば、まずは「保守政党」である。 では、「保守とは何か」と問えば、答えは決して容易ではない。 しかも、平成に入って以降、「改革」の旗振り役が自民党であったとなれば、果たして自民党にとって保守とは何なのであろうか、という問題を考えるのだ。
佐伯さんは、自民党の歴史を振り返る。 結党は、日本の国際社会への復帰から3年後の55年であった。 この年、分裂していた日本社会党の左右両派が再び合同した。 それに危機感をもった、吉田茂の自由党と鳩山一郎の日本民主党が合同して、結党したのが自由民主党である。 そこで、自民党は、第一に、左翼・革新勢力への対抗政党であり、第二に、政治信条に多少の開きがある自由党と日本民主党の混合だった。 第二をより具体的にいえば、自由党は、平和憲法と日米安保体制を前提とし、資源をもっぱら経済成長に投入しようとし、他方、日本民主党は対米依存から脱却し、主権国家としての自主的な憲法制定を目指すというものだった。 したがって、自民党には、国防の米国依存と経済成長追求という方針と、憲法改正・自主独立という方針のふたつが混在する。 そして現実には、「平和憲法・日米安保体制のもとでの経済成長」という、いわゆる「吉田ドクトリン」が戦後日本の基軸となる。
ここで、「福沢諭吉」が出てくる。 もしも「保守」の核に、福沢諭吉のいう「一身独立・一国独立の精神」を据えるならば、「対米依存」は「保守」とはいい難い。 「吉田ドクトリン」は、それ以外に現実的な選択は不可能であったという意味では、やむをえない現実的判断というべきである。
これが変則的事態であることは吉田自身よくわかっていた。 にもかかわらず、自民党内部に存在するふたつの立場の矛盾を覆い隠したのは、冷戦という当時の世界状況だった。 冷戦とは、一方で、米ソ二大大国の覇権争いであると同時に、他方で社会主義と自由主義のイデオロギー対立である。 社会主義の脅威から自由主義を守るという「体制の保守」が自民党の使命となった。 それはまた日米安保体制による親米路線を意味していた。 こうして「対米依存の保守」という矛盾にみちたものが自民党のアイデンティティーとなったわけである。
問題は「冷戦後」である。 それは、また明日。
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